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連載・特集

3.11以後 復興と表現 第1部 現場から <6>

◆美術家 吉村芳生さん(61)=山口市

今を残すアートに全霊

 「宮城震度7 大津波」「原発 深まる危機」「祈る 生きていて」―。東日本大震災後、全国で発行されたおびただしい数の新聞。被災地の惨状を伝える見出しに呼応するかのように、さまざまな感情をあらわにした「顔」が浮かんでいる。驚き、悲しみ、共感…。そのリアルな表情は見る者に迫り、大震災直後の生々しい感情を呼び起こす。

新聞に自画像

 5年前から取り組むシリーズ「新聞と自画像」。毎朝、朝刊各紙をチェックし、一番心に残った紙面に自画像を鉛筆で描き続けている。だが「あの日」からしばらくは、鉛筆を置かざるをえなかった。

 「今、作品を作らなければ後悔する」。重い気持ちを振り払い、そう決意したのは1カ月後だった。3月12日の朝刊から1カ月分、東北を中心に全国の新聞十数紙を取り寄せ、震災関連の紙面1100枚を選出。8種類の自画像をシルクスクリーンで刷り込んだ作品「『3.11から』新聞と自画像」を完成させた。うち100枚を並べた個展を昨夏、東京都中央区のギャラリーで開催、話題を集めた。

 「30年を経て発見された新人作家」と呼ばれる。2007年、東京・六本木ヒルズの森美術館が主催した展覧会で1970~80年代の旧作が注目を浴び、アートシーンの最前線に躍り出た。鏡に写した自分の顔を1年間描き続けた「365日の自画像」をはじめ、長さ16.5メートルの金網、実物大の新聞など、身近なものを鉛筆で細密描写する独特の作風はデジタル世代の若い観客に衝撃を与えた。

 70年代の版画ブームに影響を受け、東京の専門学校で学んだ。版画の原画などを鉛筆で描くうちに、「細かいことが自分の本質」と気付いた。広島市のデザイン学校で5年間教えた後、山口に帰郷。以降、10年余に及ぶスランプに陥った。「田舎では描きたいモチーフが見つからなかった。一番身近なモデルとして、自分を描きはじめた」

 起きている時間の大半を費やし、何千枚もの自画像を描き続けた。自分を見つめ、自分を問う―。修行のような日々を送るうち、もう一つのモチーフである「花」にたどりついた。コスモス、菜の花、フジ…。色鉛筆で丹念に描写した作品は生々しく、幻想的でもある。「自画像は現実の日々を、美しい花は死後の世界をそれぞれ描いている。この世を生きるとは、死に向かうこと。二つのモチーフを追求するうちに、そう実感するようになった」

創作への信念

 一枚の完璧な絵を目指すのではなく、幾千枚の絵によって、移り変わっていく時代の「今」を表現したい―。その思いの延長線上に、日々の新聞紙に自画像を描く手法がある。「新聞は古びていくが、時代を経て残るアートは古びない。アートの力によって今を未来に残したい」

 大震災をテーマに創作に挑むにあたっては、「当事者にとって不快ではないか」とためらいもあった。それを突き破ったのは「作家はいかなるときも、作品を生み出さねばならない」との信念だった。

 17日から、広島市中区袋町の旧日本銀行広島支店で開催される展覧会に参加。「50年後、100年後の人たちに…」と題して、「『3.11から』新聞と自画像」を展示する。「東北の人々の苦しみを忘れてはいけない。全身全霊で後世に残るアートを生みだし、記憶を伝えていきたい」(西村文)=第1部おわり

よしむら・よしお
 防府市生まれ。2007年、山口県美術展大賞受賞。10年、県立美術館で開催された個展「とがった鉛筆で日々をうつしつづける私」は4万3千人が来場した。

(2012年3月8日朝刊掲載)

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