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なぜなに探偵団 「黒い雨」 なぜ今注目されているの?

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 原爆(げんばく)投下後に降った「黒い雨」被害(ひがい)の指定地域(ちいき)の見直しをめぐり、厚生(こうせい)労働省の有識者(ゆうしきしゃ)検討(けんとう)会が開かれました。「降雨域(こうういき)の確定(かくてい)は困難(こんなん)」「黒い雨体験者は精神(せいしん)面の健康状態(じょうたい)が悪い」とする報告(ほうこく)書を、5月にも開く最終会合でまとめる方針(ほうしん)を確認(かくにん)しました。
(3月30日付朝刊(ちょうかん)3面から)

 広島と長崎(ながさき)に原爆が投下された後、放射性(ほうしゃせい)物質を含(ふく)む「黒い雨」が降りました。

 1945年8月6日、広島は晴れていたのに、黒い雨は、爆発の20~30分後から降り始めたとされています。どのような仕組みで降ったのでしょうか。なぜ黒い色をしていたのでしょうか。研究を続けている広島大の星正治名誉教授(ほし・まさはるめいよきょうじゅ)(放射線生物・物理学)によると、雨が降った原因(げんいん)は二つ考えられるそうです。

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 原爆は、地上600メートルで爆発し、大きな火の玉である「火球」ができました。上昇した火球が大きく膨(ふく)らんで気温が下がったため、水蒸気(すいじょうき)が水滴(すいてき)に変わって「きのこ雲」が発生しました。高さは上空約16キロまで達しました。

 星さんは「地上から巻(ま)き上げられた紙や木材が、火球の中で一瞬(いっしゅん)にして燃(も)えてすすになり、黒い雨を降らせたのではないか」と考えています。

 雨が降ったもう一つの原因は、地上で起きた火災(かさい)です。原爆の熱線で、木造(もくぞう)家屋が自然発火し、大規模(きぼ)な火災が起こりました。その熱気に伴(ともな)う上昇(じょうしょう)気流により、上空0・8キロ辺りで雲が発生したため、雨が降りました。火災によるすすなどを含んでいたので、色は黒くなりました。

 今、黒い雨が注目されているのは、どの範囲(はんい)で降ったのか、議論(ぎろん)になっているからです。国は76年、黒い雨がたくさん降ったという「大雨地域(ちいき)」を決めました。爆心地から北西方向に伸(の)びる楕円(だえん)形のエリアです。しかしその外でも降ったデータや証言(しょうげん)が最近、明らかになりました。

 星さんをはじめ、広島大や京都大などの科学者でつくる「広島『黒い雨』放射能(ほうしゃのう)研究会」が2010年5月に発表した研究結果です。きのこ雲の高さがこれまでの2倍の地上約16キロに達したことも分かりました。黒い雨が、大雨地域より広い範囲で降った可能性(かのうせい)が高いことを意味しています。

 広島市なども08年度から住民にアンケートを取り、いまの大雨地域より約6倍広い範囲で黒い雨が降ったという調査結果をまとめました。

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 なぜ、黒い雨が降ったエリアが大事なのでしょうか。国が決めた大雨地域で黒い雨に遭(あ)った人は、無料で健康診断(しんだん)が受けられます。がんなどになれば、被爆者健康手帳の取得もできます。しかし、あまり降らなかったとされる「小雨地域」などでは、国からの援護(えんご)が受けられません。

 このため、広島市などは10年7月、国に対して、黒い雨が降った全てのエリアで援護が受けられるようにしてほしいと要望しました。国は現在、有識者検討会を開いて、どうするか考えています。(増田咲子(ますだ・さきこ)

≪そもそもキーワード 広島原爆(げんばく)≫

 1945年8月6日午前8時15分、米国が広島に原子爆弾を投下した。広島の街は壊滅的(かいめつてき)な打撃(だげき)を受け、その年のうちに約14万人が亡(な)くなったとされる。爆発の瞬間、強烈(きょうれつ)な熱線と放射(ほうしゃ)線が発生。爆風も巻き起こした

(2012年4月15日朝刊掲載)

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