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連載・特集

『生きて』 広島女学院理事長 黒瀬真一郎さん <2> 小学校時代

対話で開く社会への扉

 小学校教諭の父龍蔵と、母菊枝の5人の子の3番目として双三郡吉舎町(現三次市)に生まれた。姉と妹が2人ずつ。家父長制の色濃い家庭で、女性に囲まれて育った

 家族は祖父母をはじめ9人。食事や風呂は祖父、父、私の順番で、母が一番最後。母は毎朝4時に起きて火をおこし、ご飯を作り、農作業をしていました。母は「私たちが生活できるのは先祖のおかげ」と。一切愚痴を言いませんでした。

 小学3年の時、父の転勤で吉舎小から三次市内の田幸小に転校した

 3、4年の担任の三良幸雄先生はとても温かく、社会に目を開かせてくれました。「新聞やラジオを聞いて語り合おう」と毎朝、授業前の10分間、ニュースで感じたことや感動したことを発表し合いました。

 私は当時、野球などのスポーツにしか興味がありませんでした。同い年の女の子が政治について話すのを聞き、なぜそんな難しいことに関心を持てるのかと、感心したものです。みんなの興味の幅広さ、多様な意見に触れながら、私も新聞を読むようになりました。

 先生たちは宿直があり、三良先生の担当の日には児童が野菜を持ち寄り、一緒に料理をして食べた

 宿直は思い出がいっぱいです。先生が、自らの生い立ちや家庭のことを話してくれたり、食後は夜の学校をみんなでパトロールしたり。

 人は一緒に物を食べ、語り合ううちに心を開くのですね。それまでの私は人前に立つと、顔が真っ赤に。三良先生との宿直の時間を通して、物おじせずに自分の意見も少しずつ話せるようになったのです。

  高学年になると、NHKラジオで15分間のラジオドラマ「新諸国物語」が始まった

 笛吹童子などが出てくる時代物のドラマです。放課後、田んぼで野球などをして遊んでいても、時間になると一番近い家に集まって聞きました。頭の中で登場人物を想像し、物語を楽しみました。

 同時期に2人の姉は、毎朝6時からラジオ英会話と基礎英語を聞いていました。私も早起きをして一緒に聞くようになりました。(里田明美)

(2012年4月18日朝刊掲載)

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