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連載・特集

『生きて』 広島女学院理事長 黒瀬真一郎さん <5> 被爆手記翻訳

生徒の無念くみ教材に

 山陽高に5年間勤め、1969年、広島女学院中高に転職した。70年安保闘争の影響で、女学院にも学生運動の嵐が吹き荒れた

 朝、校門でビラが配られ、高2、高3の授業のほとんどが中断になりました。「先生、どうして英語を教えるのですか」「何のために10段階評価をするのですか」「人間を評価するのはおかしいじゃないですか」―。授業を始めると質問攻め。いくら答えても、次の授業で続きが繰り返される始末でした。

 毎日がとてもしんどかった。でもその体験を通して、私自身、どうして英語を教えるのか、真剣に考えました。理屈を並べても聞いてはもらえない。外国の映画を通じて広がった自分の体験などを話し、なぜ私が英語を勉強してきたのかを伝えました。その時は、政治に熱を入れていた生徒も黙って聞いてくれました。

 学生運動も落ち着き、学校が平穏を取り戻した74年、英語科有志で一つのプロジェクトに取り組んだ

 350人が原爆の犠牲となった女学院では、遺族や卒業生から手記を募り、73年に手記集「夏雲」を作りました。その英語版を出すことになったのです。原爆や先輩の体験を英語で学ぶきっかけにもなるし、体験者の生の言葉を海外の人の心に届けることができると思いました。

 74年夏から準備を始め、75年は自宅や学校で夜遅くまで翻訳。76年夏に英訳本「サマークラウド」を完成させた

 初めての翻訳作業は、想像以上に大変でした。でもやって良かった。

 単に英語に変換するのではなく、手記の行間にある思いや、言葉にできない気持ちをくみ取って表す作業でした。火が迫る中、家の下敷きになって逃げられない状況や娘を失った遺族の思い、生き残った者の苦しさをどんな単語で表現すればよいのか。そこに気を配りました。

 「サマークラウド」は、女学院高の英語教材として、現在も高校生が使っている

 生徒がホームステイ先などに持参して読んでもらったり、広島女学院を訪れた外国の生徒や先生に贈ったり。犠牲になった生徒の無念さや原爆の悲惨さを、海外の人々に伝えることができました。

(2012年4月24日朝刊掲載)

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