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連載・特集

『生きて』 広島女学院理事長 黒瀬真一郎さん <6> 河本一郎さん

「不言実行」実践のヒント

 平和を強く意識する出会いはもう一つあった。広島女学院の校務員をしていた故河本一郎さん(2001年死去)の存在だ

 鶴を千羽折れば病気が治ると希望を持ち続けた佐々木禎子さんの思いを伝えようと、「広島折鶴の会」を立ち上げ、活動した人です。10代で入市被爆。あまり知られてはいませんが、戦後、原爆ドームの保存運動にも深く関わりました。

 毎日午後5時に勤務を終えると、自転車で広島赤十字・原爆病院や河村病院に向かい、入院患者を訪ねました。9時ごろからは平和記念公園で原爆の子の像の掃除をしました。これを40年以上続けたのです。

 生徒からは「河本のおじちゃん」と慕われ、放課後はよく校務員室で生徒と鶴を折っていました。海外から広島を訪れる人があれば広島駅へ迎えに行き、折鶴の会の生徒と一緒に平和記念公園を案内していました。活動の様子は写真に収め、生徒の保護者に配っていました。

 黒瀬さん夫妻は、河本さん宛ての海外からの手紙を訳したり、弁当をこしらえて応援した

 きれいに洗って返してくれる弁当箱の中には、新聞広告の裏にお礼の言葉が書いてあったり、折り鶴が添えられたりしていました。

 河本さんは無口だけど、思いやりと優しさにあふれ、背中で姿勢を示す「不言実行」の人でした。平和活動に私財を投じた根底には、「自分だけが良い思いをしてはいけない」という母親の教えがあったのです。

 私は、女学院に来てから、原爆手記集「夏雲」の翻訳に携わり、河本さんの活動に触れながら、実践的な平和教育とは何かを考えていました。そして1983年、同じキリスト教系のフェリス女学院高(横浜市中区)の生徒が、平和学習で広島を訪れることになり、広島女学院高の生徒が案内することになったのです。

 小学校からずっと原爆・平和について学んできた生徒ですが、いざ案内となると、自分の言葉で説明できない。フェリス女学院高の生徒の質問にもほとんど答えられなかった。

 生徒は「分かったつもりになっていた」ことに気付いたのです。その後も毎年、両校の交流は続いています。生徒が原爆について深く学び、伝える機会となっています。

(2012年4月25日朝刊掲載)

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