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連載・特集

『生きて』 広島女学院理事長 黒瀬真一郎さん <7> 高校生サミット

自主性 待って引き出す

 1986年に教頭、94年には校長になった。原爆手記集の英訳をきっかけに海外との交流も生まれた

 広島女学院では、ニュージーランドや米国の高校の先生が来た時も、生徒が英語で平和記念公園を案内するようになりました。

 89年に広島を訪れた米国コネティカット州ステイプルズ高のジェラルド・ブルッカー先生からは、毎月手紙が届くようになりました。「ぜひ広島で3年連続で高校生サミットを開きたい」と。3年は無理だけど、1度ならできるかもしれない。教諭会に諮ると、「サミットよりも受験対策に時間を割くべきだ」と反対されました。でもブルッカー先生の熱意に押されて私は説得を続け、結局は教員も重い腰を上げたのです。

 被爆50周年の95年8月、広島市で「国際高校生サミット」を開催した。県内14の高校をはじめ15カ国から350人が参加。2日間にわたって「平和」「飢餓」「環境」をテーマに英語で話し合った

 驚いたのは、子どもたちのやる気と自主性です。本番までに35回も学習会を開き、当日に備えました。女子生徒は男子もいるので張り切っていた。普段の教室では見られない、生き生きした表情がありました。

 使い切りカメラに注目してごみ問題を考えたグループは、コニカ(現コニカミノルタ)に手紙を出し、担当者から話を聞く約束を取り付けていました。私たち教員は、手紙を書いたことすら知らなかった。

 開会式の総合司会をした生徒は、英語の成績は10段階の3。それでも練習を重ね、立派に英語で司会を務め上げたのです。彼女はサミットがきっかけで外国語を本格的に学び、今インドネシアで働いています。

 みんな限られた語彙(ごい)力を駆使して海外の生徒と意見を交わした。十分伝え切れなかった悔しさがさらに英語を学ぶ動機づけになった。座学では感じられない喜び、発見、感動がサミットにはありました。生徒同士が刺激し合いながら変わる姿を見て、最終的には教員の側も心を動かされました。きっかけをつくるのが教員の役目。教育とは、「働き掛けて待つこと」だと思うのです。

(2012年4月26日朝刊掲載)

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