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連載・特集

『生きて』 広島女学院理事長 黒瀬真一郎さん <8> 日野原先生との親交

奉仕の100歳 隣人愛学ぶ

 聖路加国際病院理事長の日野原重明さんとは20年以上の親交がある。黒瀬さんは毎月、同病院の理事長室を訪ねる

 日野原先生のお父さまは1930年から終戦前までの12年間、広島女学院の院長でした。現在、大学がある東区牛田の土地を求めたのもお父さまです。日野原先生は22歳で肺結核になり、1年間女学院の院長館で過ごしました。そうした縁もあり、86年の女学院100周年の記念行事で講演をお願いしました。

 日野原先生は58歳の時、よど号ハイジャック事件に遭遇しました。以来、「命は与えられたもの。他の人のために使いたい」という思いを実践しています。65歳で同病院長を辞してからは奉仕で働いています。

 いつもお会いして感じるのは、隣人への深い愛であり、「ペイフォワード」の精神です。お世話になった人に直接恩返しができなくても、その恩を別の人に別の形で返していくこともできる。自分のことよりも他人のために尽くした被爆者の河本一郎さんとも共通しているのです。

 100歳を過ぎてなお、講演で日本中を飛び回り、小学校などで「命の授業」に情熱を燃やしています。すごいパワーです。私は足元にも及びませんが、先生が90歳の時につくった「新老人の会」のお手伝いをさせてもらっています。

 2003年のある日、いつものように日野原さんを訪ねると偶然、指揮者の小澤征爾さんがいた

 小澤さんは検診のためウィーンから帰国中。3人で話すうち広島で何かイベントを、となったのです。

 「21世紀になったが、なかなか世界に平和が来そうにない。大人に言うよりは、子どもたちの心に種をまこう」。日野原先生の頭の中には、95年の国際高校生サミットがあったのだと思います。

 小澤さんも軍医だった叔父が被爆後の広島に入って白血病で亡くなっている。だから音楽と日野原さんのメッセージで平和について何かやろうと積極的だったのです。

 でも本当にそんな大きなイベントができるのだろうか。私は帰りの新幹線の中で、なんだか怖いような、でもすごいことが起こりそうな、不安と期待でいっぱいになりました。

(2012年4月28日朝刊掲載)

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