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連載・特集

『生きて』 広島女学院理事長 黒瀬真一郎さん <9> 一大イベント

思い一つに 平和を表現

 2003年、聖路加国際病院で日野原重明さん、小澤征爾さんと交わした会話が05年10月、広島グリーンアリーナでの「世界へおくる平和のメッセージ」につながった。黒瀬さんは事務局長として奔走した

 数千人を動員するイベントは初めての経験。何からすればよいのか見当がつきませんでした。取りあえず教え子で映画美術監督の部谷京子さんや地元でイベント経験のある人たちに声を掛けたら、約20人がボランティアで協力してくれました。

 イベントを成功させるには、多くの調整が必要です。内容を決め、市民合唱団を募集し、細かなスケジュールを詰めていく。一番の悩みは入場料をいくらにするか。経費はそのまま入場料に跳ね返ります。でも多くの人に来てもらうには、なるべく安く抑えたい。葛藤がありました。

 本番の半年前、小澤さんが会場を下見に訪れ、突然こう言いました。「(東京からの)オーケストラ80人の交通費と宿泊費は私が持ちます」。小澤さんは、私たちが手弁当だと知り、配慮してくださった。おかげで入場料は3千円に抑え、収益は広島市に寄付できました。

 広陵学園(広島市安佐南区)の故二宮義人・学園長の尽力で、秋篠宮ご夫妻にもお越しいただけることになりましたが、県警からは入場者のボディーチェックを求められました。しかし、生命の尊さを発信し平和を祈る会場です。趣旨を説明してボディーチェックはしませんでした。

 当日は約8千人が来場。オーケストラと市民合唱団がフォーレのレクイエムを奏でた。俳優の吉永小百合さんは原爆詩を朗読し、日野原さんがメッセージを読み上げた

 当日、吉永さんは本番4時間前から誰にも会わず、楽屋に閉じこもっていました。何度も朗読している原爆詩ですが、そこまで気持ちを集中させて臨んでいたのです。

 出演者、観客、スタッフが思いを一つにしました。そして私自身、意義あることに本気で取り組めば、必ず手伝ってくれる人が現れると確信しました。あの時力を貸してくれたメンバーは現在、「ダマー映画祭inヒロシマ」のスタッフとして頑張っています。平和を願う気持ちは、形を変えてつながるのですね。

(2012年5月1日朝刊掲載)

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