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連載・特集

ヒロシマ音楽譜 作品が紡ぐ復興 <1> エルッキ・アールトネン

極北の地 惨劇に思い

爆心近くで10年後演奏

 ヒロシマは音楽家を駆り立ててきた。生まれた作品の多くは、惨劇の向こうに、復興をみていた。音楽に何ができるか、それは東日本大震災が突きつけた問いでもあった。クラシック、歌曲、ジャズ…。ヒロシマの復興と共に歩んだ音楽作品を今、たどりたい。(広島大特任助教・能登原由美)

 ヒロシマを音に託した音楽家は数多いが、歌詞のない器楽作品となると意外に少ない。その器楽作品でいち早くヒロシマを表現したのが、実は海外の作曲家であったことをご存じだろうか。フィンランドのエルッキ・アールトネン(1910~90年)である。

 彼の交響曲第2番「HIROSHIMA」は、被爆からわずか4年後の1949年に作曲され、その年にヘルシンキで初演された。故国がロシア、ドイツとの戦争で荒廃し、自らも戦地に赴いたアールトネン。原爆投下の知らせを聞いて即座に作曲を思い立った背景には、こうした事情が影響していたかもしれない。

 筆者は今年3月、ヘルシンキでアールトネンの遺族に会い、初演時の録音を聴いた。8月6日を予感させる陰鬱(いんうつ)な冒頭。一転して広がる穏やかなメロディーは、惨劇前の広島を表しているのだろうか。だが、軍隊のマーチに続いて冒頭のメロディーが再び現れる。そして、投下の瞬間を思わせる爆発音。わずかに残った音の世界に葬送のメロディーが静かに鳴り響く。

 この交響曲は、原爆投下の様子を音で描写する。ただし、あくまで作曲者アールトネンの想像上の世界である。想像は広島の未来にまで及び、終楽章では冒頭のメロディーが長調に変わって何度も繰り返され、惨劇に立ち向かう人間の内なる力強さが表現される。

 その音楽が広島に届けられたのは55年8月15日のことであった。その春に開館したばかりの広島市公会堂で昼夜2度にわたるコンサートが開催された。指揮は朝比奈隆、演奏は関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)。広島出身の関西財界人の支援により、全席無料のコンサートとなる。

 報道によれば、2回で5千人が詰めかけ、大成功に終わった。極北で広島を思うアールトネンのもとに、感激した聴衆から手紙が届く。それによれば、演奏直後、長い沈黙が続いた。その後、観客は総立ちになって割れんばかりの拍手を送り続けたという。

のとはら・ゆみ
 1971年広島市西区生まれ。広島大大学院博士課程修了。専門はイギリス音楽史。「ヒロシマと音楽」委員会委員長。

(2012年5月12日朝刊掲載)

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