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連載・特集

3.11以後 復興と表現 第2部 論 美術評論家 椹木野衣さん

「核」を見据え戦後再考

 「ヒロシマ・ナガサキから第五福竜丸を経て3・11に至る目で、岡本太郎の『明日の神話』は見直さなければならない。そのことを知らしめた、彼らの素早いアクションを評価したい」

 昨年4月末、東京・渋谷駅に設置されている原爆を題材にした壁画「明日の神話」の余白部分に、アーティスト集団Chim←Pom(チンポム)が福島第1原発の爆発事故を描いた絵を設置。マスコミやネットで賛否両論が巻き起こった。

 同集団は2008年、広島市中区の原爆ドーム上空に軽飛行機でピカッの文字を描き、被爆者団体に謝罪した。「結果的に被爆者と太いパイプができ、彼らの中に粘り強く残っていたヒロシマの問題が3・11での表現を生んだ」とみる。

破綻印象付け

 「明日の神話」は中央に核の炎に焼かれる骸骨、その下には航行する第五福竜丸が見える。描かれた1968~69年は福島第1原発が建設された時期と重なる。「第五福竜丸の被曝(ひばく)は反核運動のきっかけになったと同時に、国策で核の平和利用が加速される皮肉な局面を導いた。それが3・11によって破綻したことを強く印象付けた」とChim←Pomの行為を読み解く。

 98年に出版した「日本・現代・美術」(新潮社)では、第2次世界大戦中に藤田嗣治ら画家によって描かれた「戦争画」が、現代美術の起源に横たわると指摘。そのトラウマを封印したまま、本質的な問題の反復と忘却を繰り返す現代美術のありようを「悪い場所」と呼んだ。

 3・11以降、日本列島が地質学的にも「悪い場所」であると気づいたという。戦前には大地震や大津波が多発していたことが絵画などにも記録されている。戦後はまれな安定した時代だった―との視点から、文化史の再考を試みる。

 「戦後生まれたのは自己表現か、もしくは安定した世の中に亀裂を入れる表現だった。現実が常に揺らいでいる時代に入り、もう自己にこもることはできない。日常もわざわざ壊すにあたらない」

 3・11後の表現として、世界的に活躍するアーティストの村上隆の新作「五百羅漢図」に注目する。長さ100メートルにわたって、釈迦(しゃか)の弟子である羅漢を大小無数に描いた大作。「近代以前の日本美術では、鎮魂や伝承が表現の動機だった。今後の表現は作家個人の枠を超え、そこに戻るのでは」

新世代が活躍

 核をめぐる表現を意識するきっかけとなったのが、99年に茨城県の水戸芸術館で自らが企画した「日本ゼロ年」展だった。開会1カ月前に、15キロ離れた東海村でJCO臨界事故が起きた。自らが選んだ村上隆、ヤノベケンジ、会田誠ら自分と同じ60年代生まれの作家の作品をあらためて見て、驚いた。きのこ雲をアニメ的に描いた村上の「タイムボカン」をはじめテーマがことごとく核だった。

 「かつて戦争画を描いた画家たちにとって戦後、戦争や核を描くことはタブーだった。だが、マンガやアニメ、いわゆるサブカルチャーでは『ゴジラ』以降、連綿と受け継がれてきた。それらを見て育った世代の作家が現代美術として核を表現するようになった」

 3・11を機に、核、戦争、自然災害の問題を見据え、戦後美術を見直すべきだと訴える。「見直したくない力が依然として強い。でも、『原子力村』と同じように『現代美術村』の住民になってはいけない。僕は美術という枠組みを通じ、戦後日本のあり方を問うていきたい」(西村文)

さわらぎ・のい
 埼玉県秩父市生まれ。同志社大卒。核や戦争を主軸に現代美術評論を展開。著作に「『爆心地』の芸術」「戦争と万博」など多数。2010年から多摩美術大教授。

(2012年5月24日朝刊掲載)

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