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連載・特集

3.11以後 復興と表現 第2部 論 作曲家 糀場富美子さん

風化への警鐘 五線譜に

 東日本大震災が発生した時、埼玉県川口市のホールで、糀場作品を歌う女声合唱団のリハーサルに立ち会っていた。照明がブランコのように大きく揺れた。メンバーの学生たちは一斉にオルガンの下などに隠れた。

歌の力を実感

 いったん近くの公園に避難した合唱団は動揺したが、すぐに平静を取り戻す。指揮者の機転で、今までやってきた練習曲を皆で歌ったからだった。音楽が精神面の支えになることを、あらためて実感させられた。

 その帰り道、普段は人通りのない橋が、都心から逃げてくる人たちであふれ返っていた。広島の原爆投下後の惨状に想像が及んだ。震災後は1カ月ほど放心状態が続いた。

 あれから1年を過ぎて思う。「人は忘却する。だから前向きに生きられる。それでも、決して忘れてはいけないもの、風化させてはいけないものはある」。あれほど新聞やテレビを埋めた震災報道一つとってもめっきり減った。あの未曽有の出来事でさえ、被災地以外の人にとってはすでに風化しつつあるのではないか。

 ならば音を五線譜に刻む作曲家に何ができるのだろう。人々に宿命づけられた忘却に、警鐘を鳴らす役目があるのではないか。思えばヒロシマの曲を書いたのは、風化への恐れからだった。

 2005年に秋山和慶さんの指揮で初演があった「未風化の七つの横顔~ピアノとオーケストラのために」。ヒロシマをテーマにした作曲は1979年の「広島レクイエム~弦楽合奏のための」以来だった。原爆の語り部が年々少なくなる状況に危機感が募った。

胸にヒロシマ

 原爆から7年後の広島市に生まれ、戦争も直接は体験していない。だが毎年8月6日になると、親戚たちから被爆者が水を求めて川に逃れた話を聞いて育った。元安川のとうろう流しの光景は小さいころから胸に焼き付いて離れない。

 未風化という言葉には「いまだ風化していない、いや風化させてはならないという気持ち」を込めた。ピアノを語り部として、原爆犠牲者や残された人々の悲しみ、怒りを描いた。始まりと終わりに静かに響くチューブラベル(鐘)には祈りを託している。

 震災後、地震の犠牲者を追悼しようと、糀場作品の「生命の種まき」などを取り上げた演奏会が東京都内であった。「生命の種まき」は「生」に焦点を当てた曲。メキシコの山岳地帯に住む先住民の古謡を基に、一日の始まりである朝と、人生の始まりである「生まれる」ことを中心に詩を選び、作曲した。震災を忘れないための音楽会が「2、3年で途切れることなく続いてほしい」と願う。

 震災の直接の当事者ではないからこそ「まずは自分の中で風化させないようにしなければ」と戒める。「作曲家は、継続して訴える姿勢を大事に持たなければならない」。3・11以降の作曲家の役割をそうかみしめる。

 「昔からなじみ深かったり、地域に根付いたりした曲は聴き手に訴える力がある。童謡や民謡を題材にして被災者を励ますような曲があっていい」と提起する。復興に向け「子どもが前を向いて進めるような、光ある再生の曲」を思い描く。(上杉智己)=第2部おわり

こうじば・とみこ
 広島大付属高を経て、東京芸術大大学院修了。1979年の「広島レクイエム」はバーンスタイン提唱の広島平和コンサートや小澤征爾指揮のボストン響公演で披露された。2006年、「未風化の七つの横顔」で芥川作曲賞を受賞。東京音楽大教授。東京都練馬区。

  (2012年5月25日朝刊掲載)

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