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連載・特集

ヒロシマ音楽譜 作品が紡ぐ復興 <5> 美空ひばり

8・6 日常に重ね歌う

反戦の思い語るように

 1974年、被爆30年を前に一つの音楽祭が始まった。その後20年にわたって開催され、平和をテーマとする数多くの音楽作品を生み出した広島平和音楽祭である。その第1回の音楽祭で生まれたのが、美空ひばり(37~89年)の「一本の鉛筆」。音楽祭の演出を手がけた松山善三が作詞し、佐藤勝が作曲した。

 美空といえば、デビュー直後から天才少女歌手として脚光を浴び、豪華な衣装や世間にこびない言動などでも注目を集めてきた。52歳で世を去るまでにレコーディングした曲は1500曲、多数の映画や舞台出演もこなすなど、戦後華やかさを増していった日本歌謡界の象徴的存在といえる。

 あまり語られることはないが、美空は8歳の時、横浜で大空襲に遭っている。父親が戦地に赴いて不在の折、妹弟たちとともに母親に手を引かれ、防空壕(ごう)で難を逃れた。一睡もしなかったというその晩の光景は、彼女の脳裏から消え去ることがなかったであろう。

 その芸能生活は派手やかで非日常的だが、実は彼女の歌う「一本の鉛筆」こそ、反戦・平和をそれまでにないほど身近に歌った曲ではないかと思う。「歌いにくい」といわれるが、それは「歌う」のではなく「語る」ための節回しとなっているからで、歌詞にもあるように、目の前の「あなたにきいてもらいたい」のである。

 身近さは後半部分にも表れる。「一本の鉛筆があれば、あなたへの愛を書く」「一枚のザラ紙があれば、子供が欲しいと書く」ことは、誰の日常にあってもおかしくない。だがその後には「あなたをかえして」「八月六日の朝と書く」と続く。日常の中にふと「八月六日」の出来事が紛れ込むかのようだ。

 曲ができたのは本番のわずか3日前。身内の不祥事などでマスコミを沸かせる騒動が相次いでいた中、ライブ映像に残された美空の歌は、8月6日を身近に、日常の中で考えるかのように、静かな語りかけで始まった。「人間のいのちと私は書く」。曲はそう結ばれる。(広島大特任助教・能登原由美)

(2012年6月16日朝刊掲載)

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