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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第1部 被害地を歩く <1> ホットスポット

癒えぬ傷 人も大地も

国際空港そば 漂う刺激臭

 ベトナム戦争中の1961年に米軍が枯れ葉剤を使ってから半世紀が過ぎた。猛毒ダイオキシンを含み、人々と大地に爪痕を残す。被害の実態解明や補償は立ち遅れたまま。ようやく今年から汚染除去が本格化する。被爆地同様に記憶の風化が進む中、被害者たちは何を思うのか。現地を歩いた。(教蓮孝匡)

 青緑色の旅客機が、ごう音を残して青空に吸い込まれていく。ベトナム中部のダナン国際空港。滑走路北の敷地に黒と黄色の土がまだらに広がる。刺激臭が鼻を突いた。枯れ葉剤によるダイオキシンの高汚染地で、国内に28カ所ある「ホットスポット」の一つだ。

安全濃度の400倍

 空港周辺の土壌のダイオキシン濃度は、安全に暮らせる環境の国際基準の400倍に達する地点もある。この夏から、ベトナム、米国合同で土壌中のダイオキシンの高熱処理が本格的に始まる。

 「戦後37年の今も草木が生えない」。政府のホットスポット対策に携わる、ベトナム枯れ葉剤被害者協会(VAVA)科学局のチャン・ゴック・タム副代表(59)が地図を示す。足元を縫う用水路の水はどす黒い。「毒は呼吸や皮膚からも体に入る。今日は短時間だから防具は着けません」

 約90万人が暮らす中部最大の都市ダナン。150キロ北に、旧南北ベトナムを分けていた北緯17度線がある。

 ダナン空港は当時、南ベトナム最大の米空軍基地。枯れ葉剤をまく米軍機の出撃拠点でもあり、1964~71年に空港で貯蔵、積み込まれた枯れ葉剤は約1400万リットルに上る。搭載中にこぼれたり、破損したドラム缶から漏れ出したり。散布後の機体を洗った汚染水も垂れ流された。

「住民は知らず」

 ダイオキシンの土壌中の半減期は10年とも25年ともいわれる。呼吸や皮膚、食物を通し体内に蓄積。発がん性や生殖器官への有害性が指摘されている。汚染地の実態は、ベトナム政府などが90年に始めた環境調査が進むまで伏せられてきた。

 タム副代表は「ダナン国際空港の周辺は他地域と比べ、異常出産やがん患者が多い」と言う。空港と住宅地の間の池には、空港から延びる用水路の水が注ぐ。政府などの調査で池の底の泥から国際基準の約10倍の濃度のダイオキシンを検出。その後、池に流れ込む前にダイオキシンを除く設備だけはできた。

 VAVAダナン支部を訪ねた。「広島、長崎の人も支援してくれた」とグエン・ティ・ヒエン会長。支部にはリハビリや職業訓練の部屋もある。空港の問題を尋ねると「毒物が流れ出るなんて、住民は知る由もなかった。池の水を飲み、田に引いた」と語った。

 市内の枯れ葉剤被害者は約5千人。兄妹のチャン・ドゥック・ギアさん(37)、チャン・ティ・ティエン・ガーさん(35)の家に案内された。2人とも生まれつき脳障害と両手足のまひがある。父は7年前に死去。母ホアン・ティ・テさん(74)が2人を世話する。

 薄暗い部屋で横たわるギアさん。傍らでテさんは「私が死んだら誰が面倒を見てくれるの」と声を震わせた。癒えぬ傷はベトナム全土に広がっている。

(2012年6月19日朝刊掲載)

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