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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第1部 被害地を歩く <4> マングローブの記憶

猛毒浴びた「砂漠」に緑

食物連鎖で健康被害も

 ベトナム南端のカーマウ省。最果ての町ナムカンへの国道を車で走る。海抜0~1メートルの湿地帯。運河が流れ、ヤシの実を満載の木舟が浮かぶ。背後にマングローブの緑がどこまでも広がっていた。

 「この森をすべて枯らそうとは。アメリカ、いや人間はひどいことを考える」。枯れ葉剤被害者協会(VAVA)ナムカン支部のレ・スアン・タイ副会長(62)はあきれ顔で言う。

 カーマウは戦時中、南ベトナム解放民族戦線の拠点で、米軍は250万リットルの枯れ葉剤をまいた。当時のマングローブ林のほぼ半分の約8万2千ヘクタールが枯れ、海岸は浸食された。鳥や魚も激減した。

 枯れ尽くしたマングローブ林跡に立つ少年たち―。枯れ葉剤問題を追う報道写真家の中村梧郎さん(71)=さいたま市=は終戦翌年の1976年、この地で惨状を捉えた。「死の世界だった」。82年に再訪すると、砂漠のようになっていた。

日本向け養殖

 あれから30年。国策としての植林により、枯れ葉剤の傷痕を見つけるのは難しい。

 「日本人だからエビ、好きでしょう?」。タイ副会長の案内で、ナムカンの船着き場からボートで養殖地へ向かった。茶色く濁った川幅は約500メートル。泥の海のようだ。

 川岸に立つかやぶき民家のそばに上陸すると、長さ約100メートルの養殖池があった。もとはマングローブが生い茂っていたという。タイ副会長は「ここはどうか知らないが、エビブームに乗って違法伐採で造った池は多い。エビの大半は日本向けだった」とにやり。

 枯れ葉剤散布で失われた森林やマングローブ、耕作地は計220万ヘクタールで、旧南ベトナム全域の1割強。史上最悪の環境破壊といわれた。ベトナム政府は終戦直後に各地で植林を始めた。ただ、ずさんな管理で80年代後半から、エビ養殖池の造成やパルプ原料にする違法伐採が横行した。

 政府はその後、住民に植林と管理を委託。伐採も許可制とし、マングローブ林の7~8割は回復したという。

体内に蓄積か

 枯れ葉剤に含まれた猛毒ダイオキシンはどうなったのか。正確な調査はない。タイ副会長は「今は、土や海水から検出されないのでは」と言う。水に溶けにくいダイオキシンは土壌に混ざり、毎年のスコールで海に運ばれたとの見たてだ。

 「当時、海水や小魚を測ったら相当の値が出たはずだ」とタイ副会長。安全性に厳しい日本などと異なり、食物連鎖に入り込んだダイオキシンの一部は、住民の体に蓄積したとみられる。

 カーマウで暮らすグエン・ティ・サーさん(48)は、7人の子のうち5人に骨の変形や神経まひの障害がある。サーさんの体にも戦後、水疱(すいほう)のようないぼがたくさんできた。物に触れると痛み、熟睡できない。

 川べりの家は、困窮をうかがわせる。夫(63)は数カ月前、2人の息子と仕事を求めて町を出た。「地元の魚を毎日食べてきた。私がいけなかったんだろうか」とサーさん。よみがえった緑の森とは対照的に、人々の苦悩のふちは深い。

(2012年6月22日朝刊掲載)

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