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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 第1部 被害地を歩く <7> ヒロシマとともに

情報交換や交流期待

戦争の実態伝える決意

 「現状が広島に伝われば、世界から大きな力がもらえる」。5月初め、ホーチミン中心部の戦争証跡博物館の展示室で、フイン・ゴック・バン館長(49)が力を込めた。「連携のきっかけに」と、ベトナム戦争での枯れ葉剤被害を記録した画像集を原爆資料館(広島市中区)に送った。

 博物館には、ベトナム戦争で使われた戦車や銃、解説パネル、爆撃や枯れ葉剤で傷ついた子どもの写真など約1500点が並ぶ。ロビーで、近くの被害者支援施設で暮らす子ども約10人が音楽を奏でていた。目の見えない少年がピアノを弾き、全身の筋肉が萎縮する病気の青年が歌う。

 博物館では2002年、広島の被爆者団体などが原爆展を開いた。当時、副館長だったバン館長は「長い苦しみをもたらす原爆と枯れ葉剤の共通性を感じた」と話す。05年には市民団体に招かれ広島で講演した。ただ近年は、具体的な行き来は減っているという。

訪問団を検討

 戦争の記憶の風化はベトナムでも進む。バン館長は、元兵士たちに小中学校や博物館での「語り部」を頼んでいる。昨年は国内外から66万人が訪れた同館。「広島の平和への願いは世界に伝わった。ベトナムは、どう訴えていけるのか。広島と交流しながら考えていきたい」とバン館長。

 広島で平和を祈念する8月、ベトナムは枯れ葉剤被害者の日(10日)を迎える。ベトナム枯れ葉剤被害者協会(VAVA)は「広島の人と心を合わせられれば」とことし、8月6日の平和記念式典へ初の訪問団派遣を検討する。同月10日にホーチミンで開くVAVA設立10周年式典には、現地支部が広島ベトナム協会(広島市中区)の会員4人を招く。

 「広島から学ぶことは多い」。5月上旬。フエ医科薬科大の研究室で、グエン・ビエット・ニャン遺伝学部長(53)が、被害者支援でフエを訪れた広島ベトナム平和友好協会(東広島市)の会員たちに語った。贈られた原爆被害を伝えるポスターを見つめた。

 ニャン学部長は1990年代後半、ベトナム中部で61~71年にまかれた枯れ葉剤の影響を調べた。散布地域の異常出産の発生率は非散布地域の2~20倍だった。99年には、2世被害者を支援する非政府組織(NGO)をつくり、リハビリや保健指導を続ける。だが、「国内でいまだに全国規模の実態調査がない」と残念がる。

「良い方向へ」

 「放射線の影響で今も苦しむ人は」「政府はどう被爆者を支援しているのか」。ベトナムで取材中、現地の関係者や記者からヒロシマについて尋ねられた。そして、多くの人から連帯への強い思いが伝わってきた。

 ニャン学部長が言葉を継いだ。「科学者として、枯れ葉剤と原爆の被害を単純に重ねるつもりはない。ただ、広島は戦後、体系的な研究や被爆者支援を重ねてきた。もっと情報交換できれば、ベトナムもより良い方向に進める」。果てぬ戦禍の中で、歩みが続く。(教蓮孝匡)=第1部おわり

(2012年6月26日朝刊掲載)

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