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連載・特集

ヒロシマ音楽譜 作品が紡ぐ復興 <7> ゲイリー・ムーア

ロックで「原爆」問う

反戦の信念 鋭い言葉で

 「罪のない人々が炎に焼かれた」「全世界は深く恥じねばいけない」。叫び続けるボーカルに、エレキギターの張り裂けるような音。アップテンポで重厚なドラムの響きが耳奥に終始たたみかけてくる。

 ヒロシマをテーマとする音楽の大半は歌曲、なかでも大勢で歌えるようなスローテンポでシンプルなものが多い。その中でひときわ異彩を放っているのが、このゲイリー・ムーア(1952~2011年)の「ヒロシマ」(内田久美子訳)だ。ハードロック、しかも原爆投下をここまで直接的に歌ったものは全体からみても数少ない。

 ムーアは北アイルランドのベルファスト生まれ。屈指のエレキギター奏者であると同時に自ら作詞作曲したロックやブルースで数多くのヒットを飛ばし、80年代以降、世界各地を席巻した。とりわけ若者を中心に日本での人気が高く、83年から通算6度の来日公演を行っている。ただし、広島での公演記録はない。

 楽曲の多くはラブソングである。同時に、ムーアの音楽に強く反映されているのが愛郷心であった。故郷のベルファストは国家制度の下では英国の一地域に統括されるが、アイルランド島に位置しケルト民族の流れをくむなど独自の風土をもつ。自身の源流への愛着は、営利や流行とは一線を画した創作へとつながっていった。

 その故郷に長く深く影を落としていたのが、北アイルランド問題であった。紛争が最も激しかった70年代を前に彼は故郷を離れているが、思春期に見た数々の醜い争いへの反発が彼の音楽にもう一つの側面を与えている。反戦への強い信念は言動とともに歌の中で表現され、しかも言葉は常に鋭くストレートだ。

 「ヒロシマ」を収めたアルバム「ダーティ・フィンガーズ」が製作されたのは81年(発売は83年)。「彼らの悲しみを教訓に いつ起こるともしれない悲劇を防がなくては」。「もう猶予はない」。ムーアの言葉はエレキとともに鋭く胸に突き刺さる。(広島大特任助教・能登原由美)

(2012年6月30日朝刊掲載)

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