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連載・特集

『生きて』 漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん <1> ゲンとともに

原爆と戦争 告発続ける

 被爆者でもある漫画家、中沢啓治さん(73)=広島市中区=は、体験を基にした代表作「はだしのゲン」で原爆や戦争を告発し続けてきた。その発行部数は、新書や文庫など国内で累計1千万部を超え、映画やアニメ、劇、テレビドラマ、オペラ、絵本とさまざまな形で広がる。さらに英語、ロシア語をはじめ20以上の言語への翻訳が進み、世界で最も知られた原爆作品の一つとなった。

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 「週刊少年ジャンプ」での連載が始まって、もうすぐ40年になる。ゲンは、今もはだしで世界中をかけずり回っているんですよ。漫画は今、世界の文化になっているからね。使いようによっては漫画も原爆の事実を訴える力になる。いいことです。

 母の死(1966年)をきっかけに、原爆をテーマにした漫画を描き始めた

 火葬場でおふくろの骨を拾おうとしたのに、破片ばかりで骨らしい骨がなかったのが、すごいショックだった。原爆というのは、俺ら一家をどん底に突き落とした上に、死んだおふくろの大事な骨まで奪ってしまうのか、って。復讐(ふくしゅう)戦みたいに一気に描いたのが「黒い雨にうたれて」だった。

 その後、月刊誌の「少年ジャンプ」で、漫画家の自叙伝を描く、という企画が出たんです。僕に「1番バッターでやれ」ということになって、「おれは見た」(72年)を描いた。そしたら、それを読んだ週刊少年ジャンプの編集長が、自叙伝を下敷きに、長期連載をやらないか、ということで73年6月から始まったのが「はだしのゲン」なんです。

 主人公の少年「中岡元」は、中沢さん自身がモデルになっている

 ゲンと同じように、僕は爆心地からわずか1・2キロのところで被爆し、奇跡的に助かった。家族構成も同じで、実際に、おやじと姉、弟を原爆に奪われた。妹が8月6日に生まれたのも本当です。

 あの事実、戦争の問題と原爆の問題を、きちんと次の世代に伝えていかんと、と思っている。僕は漫画家だから、漫画という世界で伝えていこう、と。(この連載は、ヒロシマ平和メディアセンター・二井理江が担当します)

(2012年7月3日朝刊掲載)

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