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連載・特集

復興の風 1951年 東千田町 スポーツ王国復権の礎

初の国体 若者たち躍動

 少女4人が天を仰ぐ。指先にまで気迫がこもる。決まった。

 広島で初の国民体育大会(国体)。当時の広島大付属小運動場(現東千田公園)は、青空の体操会場になった。

 「学都」広島の学校は戦前、野球や水泳、サッカー、バレーボールなどで全国に名をとどろかせた。しかし、原爆は大勢の生徒や学生の命を奪い、その伝統を断ち切った。

 スポーツ王国の復活をかけ、被爆から数年後、広島は国体開催に名乗りを上げた。壊滅した市内に会場となる施設はほとんどない。広島や福山など5市の学校や新設まもない中央庭球場、県営ラグビー場を使った。

 国体には全国から計約1万5千人が参加。県バレーボール協会の山辺俊治顧問(78)=安佐南区=は当時、崇徳高3年でバレーボールに出場した。

 「運動の喜びが心の支えだった」。自らも長束国民学校で被爆し、親戚を失った。「私たちが立ち上がる姿を、日本中の人に見てもらえた」と振り返る。

 広島のバレーボール界はその後、名セッター故猫田勝敏さんらを輩出。甲子園でも「野球王国」の名を取り戻した。野球、サッカーのプロも拠点を置く。地方都市にまれなスポーツに恵まれた環境の原点は、国体に出場した若者たちの躍動にある。(新本恭子)

(2012年7月4日朝刊掲載)

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