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連載・特集

『生きて』 漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん <3> あの日

塀の陰 紙一重で助かる

 1945年8月6日朝。雲一つない青空だった  朝食を終えた7時すぎに警報が鳴ったけど解除になったから、神崎国民学校に向かった。今の神崎小(現広島市中区)より南西の、広島電鉄江波線の電車通りに面してました。校門をくぐる直前に同級生のおばさんに呼び止められ、コンクリート塀を背に話していた。その時、ふっと空を見上げたらB29が飛んでいて、おばさんと「B29じゃ。警報が鳴らんねえ」と言いよって、すーっと消えたころ、原爆がさく裂したんです。

 僕は塀の陰にいたから助かった。閃光(せんこう)が斜めにかすって、左耳の裏と後頭部、首筋をやけどしたけど。そして、塀が倒れて来たんだけど奇跡が起きた。すぐ前の街路樹が、爆風で吹き飛ばされて根元から40センチばかり残っていたんです。僕は塀と街路樹の隙間に入って、ぺちゃんこにならずに済んだ。本当に紙一重だった。おばさんは電車道まで吹き飛んで、全身まっ黒に焦げていました。

 そのまま家に戻ろうとした

 帰巣本能なんだろうね。電車道をわが家に向かって走っていました。わが家に通じる路地まで行ったら、もう火の海。本能的に危ない、と思って引き返して初めて感情が動きだしてね。独りぼっちにされた、って。「お父ちゃーん、お母ちゃーん」と泣き叫んで捜していた。運良く、隣の家の人が「お母さんは舟入川口町の電停にいる」と教えてくれた。

 周りは皮膚を垂らした人がいっぱい。肩から手の甲までむけて爪で止まってる。背中の皮膚は尻で、風呂敷を垂らしたようになって。足の皮膚は引きずるから、足を上げられない。そういう集団が迫ってくるんです。

 やっと舟入川口町の電停にたどり着いて左の歩道を見ると、おふくろが布団を敷いて、ぼろきれ持ってぼーっと座ってるんですよ。僕はへなへなと、そばに座り込んだ。

 おふくろが大事そうに持ってるぼろぎれをのぞき込むと、赤ん坊がいるんですよ。ショックで産気づき路上で出産しちゃった。通り掛かった人が助けてくれた、言うて。友子と名付けたけど、乳が出なくて栄養失調で4カ月で死んでしまいました。

(2012年7月5日朝刊掲載)

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