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連載・特集

復興の風 1949年 基町 レンズ越しに妹の面影

少女撮影 文通で心通わす

 信子よ、どこへ―。妹の面影をファインダーの中に探す。10枚、100枚、1000枚。広島市西区の上土井正行さん(86)は復興する街を歩き、子どもの写真を撮り続けた。

 熱線で焼けた木の向こうを少女2人が行き過ぎる。写真は中区基町の広島城近くで写した。背後のハスは食糧難のため、城の堀に植えられたという。

 原爆が投下された朝、安田高等女学校(現安田女子中高)1年の信子さん(12)は、現在の平和記念公園辺りの建物疎開に動員されていた。

 当時19歳の工員だった上土井さんは翌日、信子さんを捜した。一緒に歩いたもう一人の妹=当時(16)=が、横たわる多くの遺体の中から、焼け残ったわずかな衣服の柄を頼りに信子さんを見つけた。

 「年が離れていたせいか、かわいくてね…」。信子さんの死を受け止めきれず、上土井さんは遺体も服の柄もしっかりは確認できなかったという。

 翌年、知人からカメラをもらい、撮影を始めた。被写体の少女と文通もした。「学芸会で主役になりました」「試験でいい点を取りました」。妹と話すような気分になれた。

 28歳で結婚。38歳でカメラ店を構えた。子ども3人を育て、孫も6人いる。

 いまは、少女を撮影することはない。「必死で働き、家族を養ううち、妹を失った空白が自然と埋まったのだろう。カメラ仲間との出会いにも支えられた」と振り返る。

 代わりに、変わりゆく古里の風景にレンズを向ける。「原爆はすべてを一瞬で消した。人も街もいつ失われるか分からない。その記憶に突き動かされているのかもしれない」(門脇正樹)

(2012年7月6日朝刊掲載)

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