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連載・特集

復興の風 1956年 新天地 英気養う屋台のお好み

老若男女 肩を寄せ合う

 夕方になると屋台が並び始める。東新天地公共広場(広島市中区)。釜を置きっぱなしにした場所も屋台が囲む。

 勤めや建設現場帰りの男性、飲食店や商店で働く女性…。みんなが車輪付きの鉄板でお好み焼きを頬張った。「肩を寄せ合って食べよった。熱気があったよ」と新天地西町内会の赤松義彦会長(77)=中区。親と通った当時を思い返す。

 広島のお好み焼きを代表する「みっちゃん総本店」(中区)の井畝(いせ)満夫会長(79)は1951年、広場に屋台を出した。7軒が並んでいたという。広場は市有地。市役所が閉まる時間帯を見計らい屋台を組み、明け方に解体する「不法営業」だった。最盛期はすしやホルモン、金魚すくいも集まり、屋台は40を超えた。

 お好み焼きは1枚5円程度。アイスキャンディーとほぼ同額。井畝会長は「がれきを片付け、街をつくる人々の胃袋を屋台が支えたんよ」と胸を張る。

 市の指導で60年から立ち退きが始まった。大半は、現在はアリスガーデンとして知られる西新天地公共広場へ移った。その後、一部は完成間もない広島駅ビルへ再び移転。

 別の14店は67年、同広場前にバラック2階建てを造り、「お好み村」を開いた。92年に7階建てビルに建て替わった。2~4階の24店舗に年間50万人が来店。広島を代表する観光地に育った。

 お好み焼きの草創期と重なるかのように、「核」被災地となった福島県浪江町では「なみえ焼きそば」が生まれた。太麺が特徴の庶民の味。東日本大震災後、仮設住宅で被災地に振る舞う地元NPO法人もある。

 広島お好み村組合の河口富晴理事長(79)は「わしらと同じように、焼きそばで元気出してほしいよね」とへらを振るった。(門脇正樹)

(2012年7月7日朝刊掲載)

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