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連載・特集

『生きて』 漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん <5> よそ者

バラック建てて再出発

 原爆投下後、広島市内の遠縁の家に身を寄せた

 当時は、地元意識で固まった閉鎖的な場所だった。ここで、人間の本性を見た。今は平和だから、愛だの優しさだのきれいごとを言ってるけど、本性が出ると、強いやつが弱いやつを徹底的にいじめ抜く、というのを嫌というほど味わった。

 原爆で受けた後頭部のやけどの痕が、かさぶたになってやっと固まったな、というころ、町を歩いてると、地元の悪がきが僕を取り囲むんですよ。で、「やい、よそ者」って言って頭をたたきやがる。そしたら血の混じったうみがばーっと散って。それを見てやつらは笑うんだ。

 おふくろは、取りもしない傘を取った、って言われて。6畳一間の物置に住んでるんだから「中を見てくれ」って言っても、見ずに「こいつは街から来た泥棒猫だ」と、近所のもんが皆で引っ張って警察に連れて行くわけよ。そこで無理やり「もう二度としません」って始末書を書かされて、指で押印までさせられた。おふくろが悔しがって、夜中に泣いていた姿が、いまだによみがえってくるんだなあ。

 翌年の夏、鷹匠町(現中区本川町)に引っ越した

 おふくろは「このまま、ここにいたら、何言われるか分からん。殺される」って、廃屋になっていた陸軍兵舎に行っては材木を拾ってきて集めた。それで叔父が住んでいた鷹匠町にバラックを建てて、戦後の再出発をした。

 学校も、本川小に転校した

 前の学校での教訓が身に付いていて、「絶対にこの学校じゃ負けんぞ」と。同級生が因縁をつけてくると、後ろ目を見せずつかみかかった。運動場の真ん中で、番長クラスのやつと殴り合った。周りが見てる中で。子どものけんかは、鼻血が出たらおしまいなんよね。で、向こうが鼻血出して泣きだした。それで全校児童に「中沢は強い」と言われるようになった。卒業まで番長じゃった。

 おかげで、悪いことしてなくても、「代表」で職員室に引っ張られてたたかれて。「立っとれ」って見せしめにされてた。今でも、同級生からは「おまえは悪かった」って言われるね。

(2012年7月11日朝刊掲載)

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