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連載・特集

『生きて』 漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん <6> 漫画との出会い

手塚の「新宝島」に衝撃

 小学3年の時、同級生が学校に持ってきていた手塚治虫さん(1928~89年)の漫画「新宝島」を見て漫画家になろうと決意した

 衝撃だったね、こんな面白い漫画があるのか、って。でも、もったいぶって見せてくれないの。ほしくてねえ。鉄くずを拾って、それを売ってお金をためて、書店を巡り歩いたけどないんよ。やっと横川(現広島市西区)の闇市で手に入れて。うれしかったねえ。

 毎日毎日読んだ。どのページのどこに何が描いてあるかも覚えてたよ。で、模写するの。画用紙が買えないから、広島駅前の闇市に行って映画のポスターをはがしてくる。裏が白いから。鉛筆は米国から配給された、後ろに消しゴムが付いたやつを大事に使った。模写は結構うまかったよ。絵描きの子でしょ。おやじに絵の手ほどきを受けてたしね。

 手塚さんには1回だけ会ったことがある。「朝日賞」に僕が推薦したのを知って、亡くなる1年前に、僕のとこに来て、「ありがとうね、推薦してくれて」って言われた。恐縮したよ。恋い焦がれた人だから。

 小学4~6年の担任、故西村福三先生からも大きな影響を受けた

 すごい特技を持った先生でね、自分で紙芝居を作ってきて子どもらに見せるの。話がうまくて。面白かったねえ。創作力があって、いろんなことを習った。「新宝島」と西村先生との出会いがなかったら、僕は漫画家になっていなかったでしょう。

 漫画家になるため、映画や本にものめり込んだ

 漫画は絵が描けりゃいいってわけじゃない。映画は漫画にもってこい。構図を勉強できる。鉄くずやれんがを売ったお金で、広島駅近くの映画館に通い詰めたよ。中でも「ノートルダムのせむし男」は、すごい迫力だった。鐘を打つ場面とか、いいアングルで。ものすごい刺激になったね。

 ストーリーを作るため、文学も必要。(通っていた)江波中は新しい六三制で校舎がまだなく、広島商高の部屋を借りてた。何にもなかったけど、みんなが家に眠っている文学書や小説を持ってきて学級文庫にしていた。休憩時間や放課後に世界文学全集から何から読みまくったね。

(2012年7月11日朝刊掲載)

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