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連載・特集

ヒロシマ音楽譜 作品が紡ぐ復興 <8> マル・ウォルドロン

詩に触発 魂のジャズ

50年の節目 寺でライブ

 爆心からわずか1キロ、善正寺のある広島市中区寺町近辺はあの日、爆風による建物倒壊とその後の火災により壊滅状態であったという。建物とともに住職らを失ったその善正寺で、被爆50年目となる1995年8月6日、被爆後の長い道のりをうたう詩をもとにジャズのライブ演奏が行われた。

 ニューヨーク生まれ、ベルギーを拠点に活躍した世界的ジャズ・ピアニスト、マル・ウォルドロン(1925~2002年)は、ジャズ・ボーカルの歴史に名高いビリー・ホリデイ最晩年の伴奏者であったことでも知られる。ホリデイの死後、彼女をしのんで製作された「レフト・アローン」はとりわけ日本のジャズ・ファンを魅了した。

 ウォルドロンがその詩に出会ったのは1993年。原爆資料館に展示されている「白い道」である。作者は生後40日目に母親とともに被爆した伊藤笙。14歳でこの詩を書いた。「始めこそあったが終わりない道を十四年も歩き続けて 母も疲れた ボクも疲れた」。以来、詩が放つメッセージがウォルドロンの心にくすぶり続けた。

 その後、ウォルドロン自身の大病を機に、ピアノとフルート、それにボーカルが詩を紡いでいく「白い道」が誕生する。英訳された詩は、歌というよりも語り、あるいは、もはや言葉にもならない心のうめきのように表現される。ただし、あらかじめ作られたというよりも即興に近い。まさにその時、その場所で生まれた音楽だ。

 この日のライブでは、やはり広島の原爆投下にちなんだ「黒い雨」も演奏されている。こちらは音楽ばかりかテキストも即興に近かったようである。50年前のその日その地で消えた建物や魂が、ウォルドロンら奏者の体を通じて発する声であったともいえるかもしれない。

 レコーディングのため空調は切られ密室状態であるにもかかわらず、300人を超える超満員の会場からは物音一つ聞こえてこなかった。50年の終わりない道のりは、聞き入る人々の心に何を呼び覚ましていたのだろうか。(広島大特任助教・能登原由美)

(2012年7月14日朝刊掲載)

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