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連載・特集

広島の追悼祈念館10周年 被爆体験記 もっと活用を

朗読会の意義増す 国際発信へ多言語化も

 広島市中区の平和記念公園にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が、8月1日で開館10周年を迎える。南隣にある原爆資料館に比べ、地味で入館者数も少ないが、原爆犠牲者の体験記や遺影を通して、「核の惨禍を再び繰り返してはならない」との訴えを着実に広げてきた。被爆者が年々老いを重ねる中、体験記の収集が急がれる。朗読や調査・分析など、体験記をいかに活用していくかも課題として突き付けられている。(宮崎智三)

 原爆慰霊碑の東に位置する追悼祈念館。地下を中心にした館内には、死没者の「追悼空間」や被爆体験記の閲覧室、遺影コーナーなどがある。訪れる人は毎年20万人前後。原爆資料館の15~17%程度にすぎない。

 ただ、祈念館が果たしている役割は大きい。その一つが体験記の収集だ。2002年の開館までに、国の呼び掛けなどで10万編近く集め、その後も少しずつ増やしてきた。06年度には、書こうと思っていても病気などで筆を執れない被爆者のための「執筆補助」をスタートさせた。毎年10人程度ずつ手助けしている。

 大きな課題となっているのが、これらの体験記をいかに活用するか、だ。

 ユニークなのは朗読会。ボランティアを中心に年180回程度、修学旅行生などに朗読会を開いている。児童・生徒にも声を出して体験記を読ませ、被爆者の「生の声」に耳を傾けてもらう。体験を証言できる被爆者が少なくなる中、意義は増している。

 原爆資料館は、被爆者の遺品や写真など「物」を中心に被爆の実相を伝えている。対照的に追悼祈念館は被爆者の言葉を通して、原爆がどれほど人間の健康や心を傷つけたか、家族や仲間を奪い、地域社会を破壊したのか、を訴えている。

 いわば、原爆の威力がいかに強大だったのかを示すのが資料館で、個々の人間が見た原爆の悲惨さに触れられるのが追悼祈念館だといえる。ならば、両館をセットで訪れてこそ、原爆の惨禍の全体像に迫れるのではないか。

 体験記の活用では、多言語化も求められている。被爆地からの国際発信のベースとなるからだ。

 ただ、追悼祈念館は国が被爆者援護法に基づいて建設し、管理運営は広島平和文化センターが国の委託を受けて担当している施設。体験記のテキスト入力など活用策の拡充や、そのための人材育成を進めるには、市や県、国の積極的な後押しが欠かせない。

浅川伸二館長に聞く

「生の声」を若い世代に

資料館と連携深めたい

 10周年を迎える追悼祈念館の現状や課題について、浅川伸二館長(63)に聞いた。

 ―10年間の取り組みをどう見ていますか。
 知名度はまだ低く、PR不足は否めない。ただ、入館者は時間をかけて被爆体験記を読んだり朗読会に参加したりして被爆者の「生の声」を聴いてもらえている。修学旅行生から届いた感想文を読むと、地獄を味わった被爆者の言葉をしっかり受け止めてくれている。若い世代に核兵器廃絶や平和の尊さの訴えが伝わっているようだ。

 ―入館者数は原爆資料館の6分の1程度にとどまっています。何か対策がありますか。
 遺品など「物」を軸にした資料館とは展示の在り方が異なるが、非常に重い使命を課せられているのは同じ。資料館に来た人が祈念館も訪れるよう、さらに連携を深めたい。

 例えば、多くの修学旅行生に館内での体験記朗読会に参加してもらいたい。そのため、祈念館に来て体験記を読み朗読を聞くことの重要性を、平和学習の中できちんと位置付けるよう働き掛けたい。

 ―体験記の収集と並び、活用も課題です。
 体験記のテキスト入力をはじめ、活用には一層力を入れたい。端末で読め、フリーワード検索もできるようになり、調査・分析が進む。そうした研究ができる人材の育成も必要だ。

 もちろん、今しかできない体験記の収集も重要だ。被爆者は年々高齢化しており、時間は限られている。外に向け積極的に呼び掛けて増やしていきたい。

あさかわ・しんじ
 73年広島市役所入り。広報課勤務、安佐北区市民部長、市原爆被爆者協議会事務局長などを歴任。12年4月、追悼祈念館の3代目の館長に。

<追悼祈念館の歩み>
1994・12・ 9 原爆死没者慰霊施設の整備を盛り込んだ被爆者援護法が成立
  95・11・ 1 厚生省(現厚生労働省)が10年おきの被爆者実態調査を実施。被爆体験記の提供も依頼。約8万9
           000人分が集まる
  97・ 4    広島市が国から委託を受け、被爆体験記の整理を開始
  99・10    追悼祈念館の建設に着工
2001・ 3・26 原爆死没者の名前・遺影の収集事業を始める
  02・ 8・ 1 開館。翌03年3月31日まで、初の企画展「しまってはいけない記憶-被爆体験記にみる動員学徒」
           を開催
  03・ 7・ 6 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が長崎市に開館
     10・ 7 被爆者証言ビデオ制作スタート。以降、毎年度実施
  04・ 7・20 広島と長崎にある両祈念館と両原爆資料館による4館共同事業として、遺影と体験記収集の全国的
           な呼び掛けを開始。06年3月31日まで
      7・25 「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんの遺影を登録
  05・ 3・23 被爆体験記朗読会の本格展開を始める
      7・ 2 被爆60周年の記念事業として、俳優の吉永小百合さんによる原爆詩朗読会を館内で開催
  07・ 3・13 入館者100万人を達成
      4    館の案内チラシに、フランス、ドイツ、ポルトガル、スペイン、イタリア、ロシアの6言語を追加。従来の
           日本、英、中国、韓 国・朝鮮の4言語に加え、計10言語に。12月にはタイ語も追加し、11言語に
  10・ 7・ 6 被爆体験記6編の10言語(英、中国、韓国・朝鮮、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、ドイツ、
           ロシア、タイ)翻訳を公開
  11・10・26 被爆体験記6編の翻訳で、6言語(インドネシア、フィリピノ、マレー、アラビア、ウルドゥー、ヒンディー)
           を追加
     11・ 4 入館者200万人を達成
  12・ 8・ 1 開館10周年

(2012年7月16日朝刊掲載)

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