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連載・特集

揺らぐ核の火 第1部 被爆者のまなざし <3> 葛藤

「平和利用」の誇り砕けた

安全か電力か苦慮

 中国電力(広島市中区)から届いた6月末の株主総会の案内状に、1枚の資料が同封されていた。「島根原子力発電所の安全対策について」。高台への非常用電源の確保、防波壁の強化などの津波対策が並んでいた。

 「何を言われても、もう信用できん」。鳥取県被団協会長の足芝忠夫さん(86)=米子市=は語気を強めた。

 60歳まで主に水力発電の技術者として中電に勤めた。17歳で前身の中国配電に入社。原爆投下3日後の8月9日から約10日間、米子から広島の復旧作業に派遣された。「ここにまた人が住めるのかと心底思った」。廃虚と化した街に電柱を立てて回った。

 1974年3月、国産第1号の原発である島根原発1号機(松江市鹿島町)が営業運転を始めた。社員として何より「原子力の平和利用」という言葉が誇らしかった。膨大なエネルギーが安く生み出せ、地域も交付金で潤う―。近所の住民を施設見学に連れて行ったこともあった。

 昨年3月11日の福島第1原発事故で、その誇りは砕けた。事故後、県被団協の会合で役員を前に悔いた。「会社に『安全神話』をたたき込まれていた。絶対的な安全なんてあり得ないのに」

 今は、将来的な脱原発を進めるべきだと考えを改めた。ただ「当面は安全を最優先に原発を使うしかない」とも。関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働を機に、葛藤は増す。

 脱原発をめぐり、国論は割れる。将来の日本のエネルギーに占める原発比率をめぐる政府の意見聴取会が、今月14日から全国各地で始まった。2010年の実績値26%に対し、30年までに①0%②15%③20~25%―とする三つの選択肢が検討されている。

 「日本の産業の基盤は電力。資源に恵まれた国ではないのだから原発に頼らざるを得ない」。足芝さんと同じく中電に変電や送電の技術者として勤めた向井哲郎さん(91)=広島市東区=は言い切る。

 爆心から680メートルの中国配電本店で被爆。机に向かい営業所に電話をしようとした瞬間、机ごと爆風に飛ばされた。「まさに九死に一生だった」。頭髪が抜けたり、体がだるくなったりする急性放射線障害も現れた。

 その向井さんは訴える。「原爆と原発を同一視してエネルギー問題を議論するのはおかしい。今は事故を起こさないよう安全対策を徹底するしかない」

 原爆に遭い、電力の安定供給を担ってきた2人の技術者はともに問い掛ける。「今の生活を変えることが日本にできるだろうか」

 政府は8月にも、新たなエネルギー政策をまとめる。(田中美千子)

(2012年7月18日朝刊掲載)

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