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連載・特集

『生きて』 漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん <11> 原爆漫画

「黒い雨に」好評 道開く

 原爆をテーマにした初の作品「黒い雨にうたれて」が好評だった

 発売されたら、すぐに編集部に電話があった。他の漫画家から「よくやった!」って。うれしかったね。

 いい編集長で、もっと描けって勧めてくれた。で、「黒い川の流れに」「黒い沈黙の果てに」「黒い鳩(はと)の群れに」って、「黒い」シリーズを立て続けに出した。

 でも、被爆のシーンを描いていると死体の腐る臭いが浮かんでくる。落ち込んだ。

 その後、創刊間もない「週刊少年ジャンプ」に、子ども向けの作品を掲載するようになった

 児童漫画を描きたくて漫画家になったから、児童誌でやりたくて。それで、ジャンプに原爆とは関係ない作品を発表した。僕は「巨人の星」とか「あしたのジョー」みたいな根性ものが嫌いでね。編集長に「ぐずで間抜けで泣き虫でどうしようもない男を主人公にした作品を描きたい」と言ったら、「やってみろ」って言ってくれて。それが「燃えろグズ六」。「グズ六」シリーズはいくつかあって、グズブームになった。一生懸命やれば必ず大成する、っていうのを作品の中で言いたかった。

 1970年4月、原爆漫画「ある日突然に」をジャンプで発表した

 ベトナム戦争や70年安保で、原爆への怒りがよみがえった。長女に原爆の影響が出ないかも不安でね。被爆2世の中学生を主人公に、自分の親としての気持ちを託した「ある日突然に」の下描きを編集長に見せたの。そしたら、20ページ追加の80ページで描け、ってことになった。「下描きでこんなに感動させられたのは初めて」って。

 出たらすごい反響。新潟の小学校の先生から手紙が来た。子どもが「ジャンプ」を教室に持ってきたから叱ったら、「漫画にも良いものがある」って、その子が見せたのが「ある日突然に」だった。いい作品だから授業に使いたい、って。

 72年10月、「月刊少年ジャンプ」の企画で自伝を描いた

 これを読んだ「週刊少年ジャンプ」の編集長が、好きなだけページ数も連載期間もやるから、自伝を下敷きに長期連載をやれと言ってくれ、「はだしのゲン」が始まった。

(2012年7月20日朝刊掲載)

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