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連載・特集

ヒロシマ音楽譜 作品が紡ぐ復興 <9> 林光

合唱曲 完結まで43年

再生願う詩 葛藤重ねる

 被爆直後の惨状を克明に記録し、後に文学作品として昇華させた原民喜のテキストは、これまで数多くの音楽作品の題材として取り上げられてきた。その一つ、林光(1931~2012年)の合唱曲「原爆小景」は、原のテキスト同様、記録や描写の域を越えた芸術的価値により、今後長きにわたって受け継がれるだろう。

 林は交響曲から映画音楽に至るまで幅広い才能を発揮したが、特に高く評価されているのは日本語のテキストによる音楽創作である。なかでもオペラは、日本語独自の魅力を引き出すとともにわかりやすい筋書きと作風が幅広い支持を集めるなど、日本語オペラの発展に大きく貢献した。

 一方で、すでに10代から社会問題への関心が高く、その創作活動は楽譜上のみではなく、平和、労働、教育など現場との関わりの中にもあった。原の死の直後に刊行された詩集に文学としての魅力を感じたのが「原爆小景」作曲の契機というが、完結までに43年という年月を費やしたのは、社会情勢への鋭いまなざしがあったからこそであろう。

 「水ヲ下サイ」「日ノ暮レチカク」「夜」「永遠のみどり」の4部からなる「原爆小景」は、日本語や社会に対する感性という、林の創作の二つの根幹を見事に結晶させている。テキストに表れた意味や言葉の抑揚ばかりか行間の見えない言葉さえもすくい上げ、原爆による世界の断絶を音で代弁する。

 だが単なる代弁者ではない。第3部までの完成後、林は30年もの間、終曲「永遠のみどり」を完成させられなかった。核をめぐる状況が変わらない中、ヒロシマの再生を願うこの詩に作曲は可能なのか。懐疑し続ける林自身の声が、原の描いた「原爆小景」に新たないのちを与えることになる。

 「永遠のみどり」が完成したのは2001年。林の半生をかけた問いは完結した。ただし、「再生」という結論だけには収まりきれない響きがある。その答えは、歌い手、聴き手に委ねられることになるのだろう。(広島大特任助教・能登原由美)

(2012年7月21日朝刊掲載)

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