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連載・特集

ベトナム 枯れ葉剤半世紀 戦争の不条理 気付いて

写真家・大石芳野さんに聞く

 東京の大学で写真を学んでいた1966年、学生交流団に加わり、戦時下の旧南ベトナムを訪れた。

 徴兵前のベトナムの大学生が青白い顔で「日本の若者は自分の道をまい進できていいな」と語った。「ベトナムのため、私に何かできないか」と聞くと、「日本のために努力して。それがひいては私たちのためになる」と言われた。頭を殴られた感じ。写真で世界の戦禍を伝え、戦争をなくそうと思った。私の活動の原点だ。

 フリーの写真家としてベトナム戦の取材を始めた81年、枯れ葉剤被害の情報は少なかった。私自身、取材前は「散布が終わって10年も後に被害が出ているって、本当」と半信半疑だった。現地を歩き、その被害の重さ、多さに言葉を失った。

 発展を遂げたベトナムは今、日本人観光客であふれる。南国の美しい自然の中でおいしい料理を食べ、おしゃれな雑貨店で土産を買う。それでいい。

 その国の魅力を知れば、現地の人と友達になりたくなる。文化や歴史も気になる。その国の影の部分に気付いたとき、その人が、どう動くか。それは自分で考えるしかない。

 私がカメラを向けたのも戦争被害者だけではない。豊かな食文化、青春を謳歌(おうか)する恋人たち。同じアジアのこんなすてきな国に、戦後何年たっても苦しみが残っている。観光がきっかけでもいいから、その戦争の不条理にも気付いてほしい。

 戦争、原爆、枯れ葉剤、原発事故。痛めつけられるのは民衆だ。傷ついた人々への救済には人の輪を広げることが大切。力になれるよう、通い続けたい。

おおいし・よしの
 1943年東京都生まれ。日本大芸術学部卒業後、フリーの写真家に。写真集「ベトナム 凜(りん)と」(第20回土門拳賞受賞)「HIROSHIMA 半世紀の肖像」、著書「あの日、ベトナムに枯葉剤がふった」など。69歳。

「連載を終えて」

■報道部 教蓮孝匡

被害者支援 問い続ける

 「いくら証言しても、何も変わらない」。枯れ葉剤被害者から繰り返し聞いた言葉だ。それでも多くの人はつらい体験と現状を、涙ながらに、時には怒りのまなざしで語った。

 ベトナム、米国、韓国の3カ国をこの春訪れ、取材した。ベトナム南部メコンデルタのベンチェー。元兵士の男性(67)は子ども6人のうち3人に生まれつき脳や身体に障害がある。「この埋め合わせはできない。ただ、子どもたちが生き延びるには支援金は必要なんだ」と漏らした。

 重い障害のある家族を抱え、働き手も足りない家庭。戦後37年を経て新たな被害も生まれている。急速な経済成長が貧富の溝を深め、人々は救済どころか悪くなる現状にいら立ちを募らせていた。

 取材ノートを埋めていった事実は重く、被害の深淵(しんえん)は広がるばかり。彼らの心の声を、どこまで受け止められたのだろうか。

 ヒロシマと同様、戦争の記憶の風化が進むベトナム。学生時代に10カ月暮らしたかの地の影に、初めて触れた。傷痕を癒やす道のりは遠い。だから何ができるのかを、自らに問い続けていきたい。

(2012年7月22日朝刊掲載)

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