3.11以後 復興と表現 第3部 明日につなぐ <1> 記録映画監督 稲塚秀孝さん
12年7月30日
フクシマの真実 映像に
「今あなたは、こんな所にいていいのか」。東日本大震災の発生から1カ月後、米国ロサンゼルスで告げられた一言が福島を撮るきっかけになった。
広島、長崎の双方で被爆した山口彊(つとむ)さん(2010年、93歳で死去)の人生に迫ったドキュメンタリー映画「二重被爆 語り部山口彊の遺言」の米国上映の会場で、来場者の一人から問い掛けられた言葉だった。震災とともに原発事故の深刻さは現地でも語られていた。被災国の国民であり、核の恐ろしさをテーマにした映画の製作者だからこそ向けられた言葉のように思えた。その場で福島を撮ろうと決めた。
「山口さんを通してつながるように感じる」
帰国後、見返した過去の映像から、ある予見的な場面が目に留まった。
「核を平和的に使うといっても、今の技術には限界があり、なくならなければ(過ちを)繰り返し、人類は滅亡に近づくと思っている…」。三菱重工業の造船設計技師でもあった山口さんが語る言葉だった。技術者としての警鐘だと感じた。
街に人けなく
福島県の取材では、東京電力福島第1原発事故の影響で後に全村避難となる飯舘村や、一部が立ち入り禁止区域に掛かる南相馬市を中心に歩いた。立ち入り禁止区域から外れる同市の市街地でも住民の多くは既に避難しており、人けのない光景にまず言葉を失った。街に残る人々の苦悩や不安の声を撮り続けるうちに、この事態を警告していたかのような詩も存在していたことを知った。
「(略)日がもう暮れる/鬼の私はとほうに暮れる/友だちがみんな/神隠しにあってしまって/私は広場にひとり立ちつくす(略)うしろで子どもの/声がした気がする/ふりむいてもだれもいない/なにかが背筋をぞくっと襲う/広場にひとり立ちつくす」
南相馬市に住む詩人若松丈太郎さんが、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故後、現地を訪れた体験を基に1994年に発表した「神隠しされた街」。目にした瞬間、山口さんが言い残した言葉がよみがえった。
「この詩を映画に生かしたい」との思いが湧き上がり、若松さんにインタビューした。詩の曲付けを、旧知の歌手加藤登紀子さんに依頼。作品の中で歌ってもらった。
活動追い続編
放射能汚染の恐怖と向き合うことになった南相馬市や飯舘村。ここを古里とするさまざまな人たちの声に耳を傾け、今年3月、ドキュメンタリー映画「フクシマ2011 被曝(ひばく)に晒(さら)された人々の記録」が完成した。これまでに福島や東京、長崎などで上映された。
5月からは再び南相馬に出向き、続編の撮影を始めている。
「現地ではまだ何も終わっていないし、始まってもいない」と稲塚さんは言う。その目に焼き付いているのは、「町の復興を」と園児の家庭を回り、表土の除去や家屋の洗浄を続けている保育園関係者やボランティアたちの活動だ。行政も巻き込んで、まずは子どもたちが屋外で遊べる環境づくりを目指している。
「気の遠くなるような取り組みだが、それでも明日に向けて行動を始めた人たちを次の作品で描きたい。福島を忘れてもらわないために」 甚大な被害をもたらした原発事故と、そこから立ち上がろうとしている人たち。この二つの視点で今後もカメラを回し続ける。(伊東雅之)
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東日本大震災の被災地では今なお試練の日々が続く。明日のために表現者たちにできることは何だろう。広島など地方の創作活動や学術的な蓄積を基に、東北に思いをはせ、支え、つながろうとする4人を取り上げる。
いなづか・ひでたか
北海道苫小牧市生まれ。中央大卒。2007年「ドキュメンタリースペシャル 人間の筏(いかだ)」で日本民間放送連盟、全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)の両賞で優秀賞を受賞。01年から映像製作会社「タキシーズ」代表。ATP理事。
(2012年7月25日朝刊掲載)