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連載・特集

平和大通り―復興の軌跡 <2> キョウチクトウ

焦土に開いた希望

 強い日差しを受け、白い花が輝く。広島市中区舟入町の緑大橋東詰め。上り勾配に差し掛かった自転車の生徒は、ペダルをぐっと踏み込んだ。ヒロシマらしい夏の景色だ。

 キョウチクトウが平和大通り沿道に揺れる。75年間は草木も生えないといわれた焦土に、いち早く咲いた花といわれ、1973年に市の花に選ばれた。

 市役所の玄関前広場にある市職員と市議をしのぶ慰霊碑脇にもキョウチクトウが植えられている。66年発刊の「広島市役所原爆誌」によると、原爆と後遺症で亡くなった職員は422人。不明者197人を加えると、当時の職員数の約6割に達する。

 南区の藤田浅子さん(78)は毎年8月5日、碑前での追悼式に参加する。父浅人さんは爆心地から約1キロの旧庁舎で被爆。全身にガラス片を受けた。その後10年間、心臓病に苦しめられながら公務を続け、46歳で逝った。

 浅子さんは「父は、街が悲惨なことになってしまったが、市民のために働く、と最期まで病と闘った。キョウチクトウに託された復興の願いは、父の悲願そのものです」としのんだ。(写真・荒木肇、文・松尾直明)

(2012年7月24日夕刊掲載)

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