×

連載・特集

『生きて』 漫画「はだしのゲン」の作者 中沢啓治さん <15> ペンをおいても

原爆への怒り 次世代に

 2009年9月、漫画家引退を表明した

 左目は網膜症、右目は白内障。網膜症の手術をし、だましだまししていたけど、もう駄目ですね。利き腕(右腕)も神経障害で、ペンが握れない。漫画のテーマはものすごくあるけど、漫画家として必要なものが駄目になった。諦めざるを得ない。

 その年の暮れに、肺にがんが見つかった。ショックだったですよ。がん、ついになったか、というような。原爆を受けた人にがんの人、多いでしょ。自分にいつ出てくるか、若いときからいつも、さいなまれていた。10年9月に手術したけど、どれだけ生きられるか。抗がん剤を2回やって、放射線治療は30回近くやったんだけどね。

 広島で生きていくことを決めた

 こっちで手術受けるときに、埼玉からこっちに居を移そうって決めた。やっぱり最終的には古里で死ぬんがええ、と。友だちもいっぱいいるしね。

 以前は、本川橋や元安橋の上から川面を見ると、死体がずーっと流れてきて、ぶくぶく沈んでいく様子が浮かんできていた。街中を歩くと暗い気持ちになっていた。でも、10年余り前に映画「お好み八ちゃん」を撮って、広島への情がよみがえってきた。今は、若々しく芽吹いたなあ、なんて。そういう感覚で見てます。

 これからは講演活動に力を入れていく

 まだしゃべれるから、言いまっせ。ゲンは怒ってるぞ、と。特に、戦争責任と原爆の問題だけは、きちんと日本人の手で検証せんといかん、と思っている。広島市内ならいつでも移動できる。依頼があれば極力、受けて話したい。

 僕は漫画家だから漫画という世界で「あの事実」を伝えてきた。「ゲン」を通して、次の世代にバトンタッチしていってくれればうれしいね。=おわり(この連載はヒロシマ平和メディアセンター・二井理江が担当しました)

(2012年7月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ