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連載・特集

3.11以後 復興と表現 第3部 明日につなぐ <2> マンガ家 西島大介さん

原発と向き合い物語に

 今思えば、震災直後はパニック状態だった。3・11から5日後、東京都三鷹市から広島市西区の実家へ一時避難した。原稿を出版社に渡した翌日だ。妻、小学4年の長女、1歳の長男と共に東京を離れられれば、行き先はどこでもよかった。

 「ただちに影響はない」との政府の発表を伝える既存メディアへの不信からフリージャーナリストが配信する動画サイトにはまった。パソコンにかじりつく姿に、団塊世代の父親は「風評被害をまき散らすな。新聞を読め。インターネットは好かん」と言い捨てた。

東京から移住

 3週間後、東京に戻ったが、放射性物質が憂鬱(ゆううつ)を強いる暮らしに耐えられなかった。4月末、広島市の高台へ移住した。

 「きれいな夜景が悩ましくて。その電力の出どころまで意識せざるを得ないのが3・11以降の日常」。原稿の締め切りを守るため、一時避難まで5日も東京にとどまり、家族を危険にさらした自分を悔いた。半年近く創作が止まった。

 一方、妻の父は福島第1原発10キロ圏内、福島県富岡町の住人だった。命がけの脱出体験を聞き、東京電力との賠償交渉にも同席。原発関連工事に従事した親戚の話を聞いた。原発と共に歩んだ人々の生き方にも触れた。

 実父との確執は続いたが、対話は増えた。「放射能の数値を気にするより、原発を必要とする社会を支えてきた父親を含む親世代の価値観と向き合うことが大切なはず」。当事者としての意識が芽生え、原発事故を題材に決めた。「結局描きたいことしか描けない」と確信した。

 月刊誌「モーニング・ツー」(講談社)で昨年9月から連載する「すべてがちょっとずつ優しい世界」は、静かに語り掛ける絵本のような物語。スピード感あふれる作風から転じ、皮肉や暴力も影を潜めた。闇に包まれた村に町の人が明かりをともしに来る。村人は「ひかりの木」を歓迎するが、過疎は進む。木は原発。人々は善意。福島の戦後に重ねている。

 ことし1月、月刊誌「ジャンプ改」(集英社)で始まった「ヤング・アライヴ・インラヴ」。放射線を測定して歩く科学少年と、墓地の上に立つ原発のせいで幽霊が見えるオカルト少女の恋物語だ。ポップで愛らしい絵柄と対照的に、物語は救いがない。目に見えないものと闘う2人。互いを理解はできないが、原発を止める目的と愛でつながっている。

ヒロシマ重ね

 広島での原発題材の創作を支えた本がある。半世紀前、米国の精神医学者ロバート・リフトンが被爆者と面談し、原爆が人間に与えた心理的影響を分析した「ヒロシマを生き抜く」。政治家や学者、作家、運動指導者、カフェの従業員に、被爆者としてどう生きるかを問う。原爆を許せない思いは同じでも、立場の違いで受け止めは異なる。

 今の日本が重なって見えた。「原発事故を何とかしたいと考えている人たちが、デモやがれき受け入れの是非をめぐり、内ゲバのように対立しているのは悲しい。価値観がばらばらで対立したままでも、世の中がよくなる建設的提案をしたい」

 父親が転勤族で、東京で生まれた。広島暮らしは幼稚園と中学高校に続き3度目。東京から編集者が来れば宮島や原爆ドームに案内し、お好み焼きを食べる。「古里のない根無し草の僕に、初めて地元意識が芽生えた」

 広島から福島に思いを寄せつつ、過去と未来をつなぐ。「読めば憂鬱な気分がふっと軽くなる。そんな本をつくりたい」。圧倒的な現実に、想像力で立ち向かう。(渡辺敬子)

にしじま・だいすけ
 広島市立井口中、広島県立観音高卒。04年「凹村戦争」(早川書房)でマンガ家デビュー。同作は文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品となり、星雲賞アート部門受賞。近作に「小さな王子さま―世界の終わりの魔法使い4」(河出書房新社)「アイ・ケア・ビコーズ・ユー・ドゥ」(講談社)。

(2012年7月27日朝刊掲載)

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