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連載・特集

平和大通り―復興の軌跡 <5> 供木運動

受けた支援 歴史が森に

 南国の木フェニックスの葉が風に揺れる。広島市中区鶴見町。22年間で高さは1・6メートルから4メートルまで伸びた。

 平和大通りを挟むように広がる「被爆者の森」は広さ約1ヘクタール。市が1990年に整備し、日本被団協の47都道府県にある傘下団体が、自治体の木を贈った。フェニックスは宮崎県からやって来た。

 復興の長い道のりは、平和大通りの木々の高さが物語る。どれほど大勢が手を差し伸べたかは、木々の豊富な種類で分かる。

 代表的な支援が、57~58年の「供木運動」だ。原爆で焼き尽くされた街をよみがえらせるため、国内外から苗木や種が寄せられた。

 平和大通りの樹木観察を続ける「平和大通り樹の会」の六重部篤志代表(68)=安佐北区=は「復興と支援の歴史を忘れないでほしい」と呼び掛ける。

 昨年7月からは中区のNPO法人「ANT―Hiroshima」(渡部朋子代表)などが「グリーンレガシー(緑の遺産)」を始めた。世界の紛争地などに被爆樹木の種や苗を送り、平和の輪を広げる。

 既に7カ国に約4千の種や苗を贈った。緑の使者の役割は、「伝える平和」から「創る平和」へと広がっている。(写真・荒木肇、文・神下慶吾)=おわり

(2012年7月27日夕刊掲載)

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