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連載・特集

ヒロシマ音楽譜 作品が紡ぐ復興 <10> 「ねがい」

世界から2060編の歌詞

一つの旋律 結んだ思い

 その歌の名は「ねがい」。2002年3月、広島市内の中学校から発信された歌は、8年間で歌詞が2千番を超すというユニークな現象をみた。発端は、社会科教諭を務めていた横山基晴の発案。横山は平和学習で生徒が書いた平和宣言や感想文などを集め、交流のあった広島の合唱団に歌詞の編さんと作曲を依頼していた。

 山ノ木竹志による編詞、たかだりゅうじによって作曲されたこの歌はやがて、神戸の中学校英語科教諭、長田寿和子の耳にも入る。創作の経緯や歌詞内容に共鳴した長田は、自らが関わる国際教育機関のホームページ上で英訳付きの歌を紹介した。すると、世界各地から現地の言葉に翻訳された歌の音源が届くようになった。

 その後、4番までしかなかった歌詞に5番目の歌詞の作詞を呼びかけたところ、さらに大きな反響を呼んだ。さまざまな言語による5番目の歌詞が続々と届き、2010年には世界31カ国から寄せられた歌詞が2060番にまで到達するのである。

 「もしもこの頭上に落とされたものが ミサイルではなく本やノートであったなら」「君は戦うことをやめるだろう」。4番までの歌詞では反戦・平和が主題である。だが、新たに加わった5番目の歌詞には、戦争、貧困、人権、環境問題、差別やいじめなど、それぞれの作者が「もしも」と願う内容が多岐にわたって含まれる。

 人々のさまざまな願いを伝える歌。ただし要となるメロディーは一つ。グローバル化・多様化が進む中、他人の言葉ではなく自分の言葉で表現できることが共感を呼ぶのだろう。その一方で、現代人は人とのつながりも求める。2060編もの歌詞を結ぶメロディーは、その役割を果たしているのかもしれない。

 21世紀に入って10年余り。そのわずかな間にも、米中枢同時テロ、イラク戦争、東日本大震災、福島第1原発事故など、日常を揺るがす惨禍に何度も見舞われた。惨劇を乗り越えたヒロシマで生まれた音楽に、平和な日常への願いを込めた歌詞はまだ重なりそうである。(能登原由美・広島大特任助教)=おわり

(2012年7月28日朝刊掲載)

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