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連載・特集

揺らぐ核の火 第2部 ヒロシマの足元 <1> 震災がれき

「受け入れ議論なく残念」

被爆地 薄い存在感

 関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働は、核の平和利用の是非をめぐる議論を増幅した。67年前の夏、原爆が投下され、核兵器廃絶を唱えてきた被爆地広島も同様に、揺れる。福島第1原発事故以降、迫られたヒロシマの訴えの再構築。その行方を探る。

 北九州市小倉北区の臨海部。袋詰めされた灰がブルーシートに覆われ保管されていた。市が5月に実施した震災がれきの試験焼却の灰だ。一帯では安全性を確認するため1日1回、大気中の放射線量の測定が続く。

 西日本で唯一、東日本大震災で出たがれきの受け入れを表明した同市。8月にも年間約4万トンを上限に、宮城県石巻市から搬入を始める。

 受け入れの検討を始めた3月以降、市民から寄せられた電話は約5700件(7月13日現在)。うち9割強は反対意見だ。「放射性物質への不安は分かるが、受け入れても安全ながれきがあるのも事実だ」。北橋健治市長(59)は強調する。

 6月の住民説明会。北橋市長は自身が被爆2世であることを公にした。母(80)は広島で被爆。「あなたを産むか悩んだ」。高校生の時、そう言った母の表情が忘れられない。

 受け入れ判断をめぐって放射性廃棄物の研究者や医師、市民団体の代表たちを交えて議論。埋め立て可能な焼却灰の放射性物質の濃度を1キロ当たり100ベクレル以下とする独自基準を設けた。これは同8千ベクレル以下の国の基準より大幅に厳しい。

 「石橋をたたき、時に渡らずとの気持ちで検討した」。母の体験を聞き、放射線の怖さを感じてきたからこそだ、という。

 「被爆した広島は全国、世界の支援でよみがえった。恩返しの意味で復興を支援する気持ちを送ることは非常に重要だ」。広島市の松井一実市長はそう繰り返してきた。

 だが、国からのがれき受け入れ要請に可否の判断を保留したままだ。安全基準をめぐる国の説明不足が主な理由だ。さらに「放射線被害に敏感な被爆者の心情への配慮もある」(市幹部)という。

 広島県被団協(金子一士理事長)は現状のままでは反対することを決定。もう一つの県被団協(坪井直理事長)にも反対意見は根強い。同じ被爆地長崎では、主要な被爆者5団体全てが反対を打ち出している。

 宮城県は今月25日、焼却処理する可燃物に限り、既に受け入れ表明した自治体以外に協力を求めない方針を示した。早期処理に向け受け入れ量の拡大を要請する。同県震災廃棄物対策課は「各地で住民の間にあつれきが生まれている現状ではやむを得ない」と説明する。

 被爆者である広島大の葉佐井博巳名誉教授(81)=原子核物理学=は語る。「広島市は受け入れをめぐり、専門家を集めて議論することもなかった。被災地も、全国の自治体も被爆地に注目していた」。自ら動こうとしない市の姿勢を残念がる。(胡子洋)

震災がれき
 環境省によると、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の3県にあるがれきは6月30日時点で推計1880万トン。うち岩手、宮城両県が県外での処理を求めているのは計247万トン。福島県は全て県内で処理する。国は岩手、宮城両県のがれきについて2013年度中の処理完了を目指し、処理施設を持つ全国の自治体や企業に協力を呼び掛けている。

(2012年7月30日朝刊掲載)

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