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連載・特集

北東アジアの非核化へ向けて―広島・長崎から核のない世界をめざす 国際シンポ詳細

 冷戦が終わった後も緊張が続く北東アジアでの非核化の可能性を探る国際シンポジウム(広島市立大、長崎大核兵器廃絶研究センター、中国新聞社主催)が28日、広島市中区の広島国際会議場で開かれた。「北東アジアの非核化へ向けて―広島・長崎から核のない世界をめざす」をテーマに、国内外の専門家が世界の情勢や当事国の現状を踏まえて、課題や被爆国日本の役割、福島第1原発事故の影響などについて議論した。(文中敬称略)

≪パネリスト≫

前国連軍縮担当上級代表         セルジオ・ドゥアルテ氏
長崎大核兵器廃絶研究センター長    梅林宏道氏
韓国統一研究院上級研究員       全星勲(チョンソンフン)氏
中国政治研究者               飯塚央子氏
中国新聞社論説委員            金崎由美

≪報告者≫

韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長 豊永恵三郎氏

≪コーディネーター≫

広島市立大広島平和研究所副所長 水本和実氏

非核化への課題

飯塚氏 地域安定 中国も利益

ドゥアルテ氏 中南米は対話に転換

 水本 梅林さんとは別に、全さんも北東アジアの非核化を提案されています。

  2000年に日本の研究者と、日本、韓国、北朝鮮による非核兵器地帯構想を発表した。北朝鮮の核兵器開発を抑止でき、日本や韓国に向けられている核開発への国際的な疑念を拭い去ることもできる―などの狙いがあった。

 しかし、北朝鮮の核開発が障害になっている。例えば、「核開発の能力も意思もない」と否定し続けてきたが、10年にはウラン濃縮施設の存在が明るみに出た。

 飯塚 中国は、1964年の核兵器保有で世界における地位を向上させてきた。核は、中国にとって国をまとめる支柱となる「愛国心」のシンボルでもある。

 北東アジアの安定は中国にとって必要不可欠である。この意味で、北朝鮮に核を放棄させ、非核化を促進することは、中国にとっても利益になる。

 ドゥアルテ 中南米には、世界のモデルとなった非核兵器地帯条約がある。ただ、課題もあった。(地域内の大国の)ブラジルとアルゼンチンは90年代まで条約に加盟しなかった。両国は軍事政権下で核開発を続け、競合関係にあった。しかし政権移行で対話路線に転じた。互いに原子力の民生利用の査察を行う機構を設置するなど、信頼関係を築き、95年に両国は条約に加盟した。

 水本 中南米では信頼関係をつくるのに成功した。北東アジアでは可能でしょうか。

  北朝鮮は、核開発の問題で明らかになったように、握手して笑みを浮かべながら裏では全く逆のことをしてきた。世界を欺いている。その二面性を忘れてはならない。

 飯塚 北東アジア地域の非核化を、全地域における核廃絶のパーツの一つとして捉える必要がある。非核化するプロセスの中で、信頼を築いていくことが欠かせない。

 梅林 日朝関係の正常化は、非核化への包括的アプローチの中での重要な要素と考えている。日米安保などが障害になるとの懸念もあるが、軍事同盟の役割は非核化を進める中で小さくなる。

 金崎 多国間の核軍縮に関して最も重要な核拡散防止条約(NPT)の2015年の再検討会議に向け、非核兵器地帯を増やすことや核兵器禁止条約の早期交渉開始を訴えるなど重層的な努力をもっと意識すべきだ。

≪世界の非核兵器地帯≫
●中央アジア非核地帯条約             2009年発効  5カ国
●モンゴル非核兵器地位               1998年国連承認
●東南アジア非核兵器地帯条約          1997年発効 10カ国
●南太平洋非核地帯条約              1986年発効 16カ国・地域
●アフリカ非核兵器地帯条約            2009年発効 54カ国(西サハラを含む)
●ラテンアメリカおよびカリブ地域核兵器禁止条約 1968年発効 33カ国

【出典】「日本の軍縮・不拡散外交(第4版)」(外務省編集)など

フクシマの影響

全氏 原子力への信頼低下

金崎論説委員 複眼視点で原発報道

 水本 福島第1原発事故後、どんな変化が起きていますか。

 ドゥアルテ 国連と国際原子力機関(IAEA)は、核エネルギー政策をめぐる国際社会の対応について協議した。結論は「どう使うかは、それぞれの国次第」。フクシマを経験した今も、ほとんどの国が原発を止めていないのが実情だ。

 飯塚 中国内陸部で、原発建設の反対運動が起きているが、大きな広がりにはなっていない。政府のベクトルは推進の方向に向いている。核兵器については「保有しているからこそ発言力がある」との見方だ。米国が放棄しない限り、持ち続けるだろう。

  福島の事故は韓国にとってもショックだった。その後の世論調査でも、核の平和利用に対する支持は半分以下に。原子力に対する市民の信頼は大きく低下している。

 金崎 放射線による被害は原爆だけではない。知っていたのに問題意識が十分でなかった。日本は非核兵器国として唯一、自前で使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを取り出す方針を堅持する。長崎原爆の5千発を超す45トンをため込んでいる。被爆地の新聞社として核兵器廃絶の立ち位置から離れず、複眼的な視点で原発問題を捉えたい。

 梅林 原発の最大の問題は、放射性物質の最終的な処分方法を知らないまま実用している点だ。こうした現状では、これ以上新しい施設を造らない、もしくは処分方法が決まるまでは造るべきではない、とするのが当然の選択。解決策が見つからないものはやめるべきだ。

被爆国の役割

梅林氏 国際舞台で発言を

 水本 被爆国日本の役割について、どう考えますか。

  日本が6月に原子力基本法を改正して「安全保障に資することを目的として」と明記した。核武装の道を開くという懸念を捨てきれない。非核三原則とは矛盾しないのか。

 この改正は、日本の人々のコンセンサスにより、できたものではない。今後日本国内で起きる議論を注意深く見る必要がある。非核三原則が覆るのかどうか、海外には疑念の目がある。

 飯塚 中国と日本は互いに不信感を持っている。中国では、日本は核兵器とミサイルをいつでもつくることができる技術を持っていると考えている。原子力基本法改正では日本を非難していないが、韓国が強く批判している記事は出している。「やっぱり」と思っているのかもしれない。両国の亀裂を深めることになっている。

 金崎 豊永さんのような活動が信頼醸成につながる。広島の市民一人一人が北東アジアの非核化に向け、何ができるかを考えることが大切だ。政府も非政府組織(NGO)も、被爆者の体験に耳を傾けてこそ、血の通った議論ができる。

 梅林 岡田克也副総理が4月に国会答弁で「北東アジアの非核兵器地帯は、北朝鮮に核を諦めさせる手段として有効」と述べた。政府の姿勢を前に進めた重要な発言だ。これを契機に、議論を進めるべきだ。

 非核兵器地帯化を国際議論のテーブルに載せるには、言い出しっぺが当事国から生まれなければならない。被爆国日本が国際舞台で積極的に発言すべきだ。

 ドゥアルテ 広島、長崎には恐怖の記憶がある。同じことが二度と起きてはならない。核兵器廃絶に広島、長崎は重要な役割を果たす。皆さんの不屈の精神で、世界を非核化するための貢献を期待している。

 水本 北東アジアでは緊張が続いている。だからこそ、繰り返し非核化を提案することが信頼醸成につながる。

基調講演

梅林宏道氏

非核地帯議論の好機

 北東アジアに非核兵器地帯をつくろうとする努力は、可能かどうかや枠組みの議論から、どう実現するかの段階に発展している。

 私は1996年、「3+3(スリープラススリー)」構想を提案した。日本と韓国、北朝鮮が非核兵器地帯をつくり、周辺の米国、中国、ロシアの核保有国は核による攻撃や脅しをしないとの内容だ。核兵器競争の芽を摘み、「核の傘」依存を脱却して核兵器廃絶にも貢献できる―などの狙いがあった。

 その後、6カ国協議という話し合いの枠組みが生まれた。一方で、北朝鮮が2度、核実験を行い、核兵器保有を宣言するという重大な変化があった。

 昨年11月には、6カ国協議の停滞を打開するため元米高官のモートン・ハルペリン氏が「包括的平和安全保障協定」を提案した。朝鮮戦争の終結や敵対的意図がないことの相互宣言などの問題を個別にではなく、包括的に扱った条約に合意するとの重要な提案だ。

 今がチャンスだ。この機を捉え、ハルペリン氏の提案を発展させた包括的なアプローチとして議論することで、北東アジア非核兵器地帯への関心をより強める時期に私たちはいる。

※梅林さんの講演のスピーチ原稿はこちらから閲覧できます。
北東アジア非核兵器地帯――いま包括的アプローチを必要としている

セルジオ・ドゥアルテ氏

保有国 政策変更迫る

 中南米・カリブ諸国ではコスタリカが1958年、米州機構(OAS)に非核兵器地帯の創設を提案。ブラジルはキューバ危機(62年)の数週間前、国連総会に同様の決議を提出した。

 キューバ危機で非核兵器地帯に対する市民の認識と実現の機運が高まった。ボリビアやチリ、エクアドルなども加わり、4年後には核兵器の製造、保有などを禁止したトラテロルコ条約を結んだ。60年代の不透明な情勢にもかかわらず短期間で実現できたのは、経済・社会面で協力し合っていたからだ。

 これを機に、アフリカや東南アジアなど四つの地域が非核兵器地帯となり、中東や北東アジアへの提案にもつながった。この2地域で実現すれば、核兵器保有国やその同盟国が政策を見直し、永久廃絶へと方針転換するかもしれない。

 核保有国の言い分は「侵略抑止」「保険」などさまざまだ。まさに核拡散につながる論理だ。安全保障は強国だけのものではない。非核兵器地帯化が進めば、国同士の緊張緩和と信頼醸成も大きく進む。北東アジアの人々の忍耐と前向きな思いで、近い将来達成してほしい。

報告

豊永恵三郎氏

在外被爆者の支援に尽力

 約40年間、韓国をはじめ在外被爆者の支援にかかわってきた。1971年に初めて韓国に行き、被爆者が日韓両政府から放置されていることを知った。

 市民の会が71年末に結成され、78年に広島支部をつくった。89年からは毎年、韓国に行って被爆者と交流し体験を記録した。要望も出てきた。被爆者健康手帳を取得するための証人捜しや広島に来た時の宿の手配などだ。こうした活動が信頼醸成につながると思う。

 アジアでは「原爆投下で解放が早まった」などと考える人もいる。非核化には原爆展を通じて被爆の実態を知ってもらうことが大切だ。その際、「軍都廣島」を反省する展示も必要だ。

うめばやし・ひろみち
 37年兵庫県生まれ。東京大大学院博士課程修了。大学教員などを経て、98年、核・平和問題に関する市民シンクタンク「ピースデポ」設立。12年4月に創設された長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の初代センター長に就任。核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)東アジアコーディネーター。

セルジオ・ドゥアルテ
 34年ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。57年ブラジル外務省外交官研修所を修了し、85年から同国大使としてニカラグア、カナダ、中国、クロアチアなどに駐在。05年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議議長。07年から12年2月まで国連軍縮担当上級代表。専門は国際法・公法、軍縮外交。

チョン・ソンフン
 62年韓国水原市生まれ。カナダ・ワーテルロー大で博士号取得(経営科学)。専門は安全保障、朝鮮半島問題。国防部、統一省、大統領府危機管理室の政策諮問委員なども務める。

いいづか・ひさこ
 64年東京都生まれ。慶応大大学院法学研究科後期博士課程を単位取得退学。08~10年国際基督教大非常勤講師、10~11年常磐大非常勤講師。専門は現代中国政治。

みずもと・かずみ
 57年広島市生まれ。81年東京大法学部卒業。89年米国タフツ大フレッチャー法律外交大学院修士課程修了。専門は国際政治・国際関係論、核軍縮。

かなざき・ゆみ
 70年秋田県能代市生まれ。95年中国新聞社入社。主に原爆・平和報道を担当し、在日米軍再編問題や核問題の連載、10年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議などを取材。

とよなが・けいさぶろう
 36年横浜市生まれ。39年両親の出身地の広島に転居。45年8月、母や弟を捜して入市被爆。61年広島大を卒業し国語教師に。韓国を中心に海外の被爆者支援を続ける。

 この特集は二井理江、門脇正樹、衣川圭、増田咲子が担当しました。

(2012年7月31日朝刊掲載)

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