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連載・特集

揺らぐ核の火 第2部 ヒロシマの足元 <3> 新たなうねり

政党色なし 普通の人参加

脱原発の思い集結

 日曜の午後。広島市中区の原爆ドーム付近は気温35度を超えていた。「子どもを守れ」「電気は足りる」。子連れの母親や、ドラムを打ち鳴らす若者たちが列をなす。7月29日、短文投稿サイトのツイッターの呼び掛けで約170人が反原発デモに集まった。

 会社員弓場則子さん(39)=広島県府中町=も列にいた。同町で育ち、3人の子を持つ。

 放射性物質をまき散らした福島第1原発事故後、子どもの食の安全を何より心配した。行政への申し入れなどを通じ、福島県や関東地方からの避難者と一緒に活動するようになった。古里、家族と離れる苦しみや、外で子どもを遊ばせられない親のつらさに触れた。

 そんな仲間から言われることがある。被爆地は放射線被害への意識がもっと高いと思っていたのに―と。

 67年前の夏、原爆投下の翌日に入市し、焼け跡でめいを捜した祖母に体験を聞いたことはある。ただ、原発事故が起きるまで深刻に考えたことはなかった。原水爆禁止運動も縁遠かった。被爆地のイメージの内外のギャップに「悔しいけど、納得もする」。敷居の低い「ツイッターデモ」はそんな自分にぴったりだった。

 「政党色がにじむと普通の人は入りにくい。『反原発』だけを訴えたい人の受け皿になりたい」。デモを企画した「TwitNoNukes中国」の森川実季さん(40)=岩国市=は狙いを語る。

 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴え続けた広島。けん引した原水爆禁止運動は核の平和利用をめぐる見解の相違や政党のイデオロギーが前面に出て分裂。被爆者や市民を引きつける力を徐々に失った。

 首相官邸前では毎週金曜、脱原発を訴える抗議行動が繰り広げられる。森川さんの企画もその流れをくむ。既存の反核・平和団体に頼らず、個人の思いや行動を発信する機運は、被爆地広島でも高まり始めた。

 広島市でデモがあった7月29日。将来の原発依存度を議論する政府主催の意見聴取会が中区であった。会社員田野淳路さん(45)=西区=は原発ゼロを求めて意見を表明した。

 被爆2世。原発問題に関心はあったが、運動に関わったことはない。「震災前、原発の話をすると『面倒くさい人』って思われてましたよね」

 聴取会の参加者募集は100~200人。しかし、実際に参加したのは意見発表の12人を含め79人だった。「会場の盛り上がりのなさが関心の低さを示している。反原発の人だけで情報交換しても限界がある」と田野さんは言う。

 最近、被爆2世であることをツイッターで明らかにするようになった。反原発を訴えるのに原爆の話は避けて通れないと思うからだ。「反核と反原発が結び付くのは自然だと思う」。原発の在り方を考えることが、核兵器廃絶の世論の盛り上げにもつながると感じている。(加納亜弥)

(2012年8月1日朝刊掲載)

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