×

連載・特集

揺らぐ核の火 第2部 ヒロシマの足元 <5> 平和宣言

「発言しなくていいのか」

原発是非に触れず

 「暮らしと安全を守る市民本位のエネルギー政策の確立を国に訴える」。原発問題に質問が及ぶと、広島市の松井一実市長は慎重に言葉を選んだ。1日、6日の平和記念式典で読み上げる平和宣言の骨子を発表した。

 福島第1原発事故後、広島は2度目の原爆の日を迎える。原発の是非の言及は昨年に続いて避けた。「責任を持つ国が皆さんの声をくみ、一定の方向性を出す。今、私の判断がいろんな人の考えに影響しない方がいい」

 昨年4月に就任した松井市長。初めて読んだ昨年の平和宣言から、起草に新たな手法を導入した。被爆者から募った体験談を引用し、有識者や被爆者9人でつくる選定委員会で内容を検討する。

 選定委は非公開。市によると、委員はエネルギー政策に触れることでは一致。原発の是非をどう扱うかの議論はなかったという。

 骨子を知った岡本久美子さん(38)は落胆を隠さない。先月、平和宣言に脱原発の訴えを盛り込むよう松井市長宛てに要望書を出した。福島県本宮市から避難し、西区に暮らす。「原発は平和な生活にいらないものだと確信した。放射線の怖さを知るヒロシマに期待していたのに」

 1947年に始まり、その時々の社会情勢を映してきた平和宣言。ただ、核の平和利用をめぐる言及は少ない。「原子力を開放し得たことは、明らかに科学の偉大なる進歩」(1953年、故浜井信三元市長)と歓迎する言葉もある。

 「これ以上、ヒバクシャを増やしてはならない」(91年)とうたった平岡敬元市長(84)。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)の被曝(ひばく)者支援を念頭に置いた。「ただ反原発を訴えたことはない。正直、思い至らなかった」と明かす。

 松井市長の会見前日の7月31日。長崎市の田上富久市長が長崎原爆の日(9日)に読み上げる平和宣言の骨子を発表した。再生可能エネルギーの開発を呼び掛けた昨年を踏まえ、具体的なエネルギー政策を示すよう国に求めるとした。

 さらに、原発から出る放射性廃棄物の処理問題に言及する予定で、広島より一歩踏み込んだ内容となる。

 ただ、原発の是非には明確に言及しない見通しだ。長崎は被爆者や有識者たち18人の起草委員会で文案を練る。市の素案に「表現が弱い」「被爆地として政治に怒りを」などと脱原発のスタンスを打ち出すよう求める場面があったという。

 委員の一人、土山秀夫元長崎大学長(87)は語る。「平和宣言には将来こんな世界であってほしいとの思いを政府や国際社会に訴える役割もある。一挙に解決しない原発問題だからこそ、被爆地として意思表示したい」と。

 「ヒロシマが原発について発言しなくていいのだろうか。世界から注目される平和宣言にこそ盛り込んでほしかった」と岡本さん。核の平和利用にどう向き合うべきか。被爆地は答えを出せないでいる。(田中美千子)

 連載「揺らぐ核の火」は今回で終わります。

(2012年8月3日朝刊掲載)

年別アーカイブ