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連載・特集

被爆体験 著書・メディアで発信  野球解説者 張本勲さん始球式

 核兵器廃絶の願いを発信する「ピースナイター」が5日、マツダスタジアム(広島市南区)で開かれる。始球式を務めるのは、東映(現日本ハム)や巨人などに在籍し、日本プロ野球記録の通算3085安打を放った張本勲さん(72)=広島市南区出身。5歳で被爆し、姉を原爆で亡くした。野球解説者として活躍する傍ら、戦争の悲惨さを著書やメディアを通じ、人々に伝えている。「核兵器廃絶の活動を世界に広げたい」。平和への願いを込めた一球を投じる。(五反田康彦)

「あの日」の光景・姉の最後の言葉…悲惨さ後世に伝えねば

核廃絶 世界に広げたい

 ―少年時代は焼け野原の広島で、がむしゃらに野球に取り組みました。スポーツと平和についてどう考えていますか。
 野球を始めたのは1951年、小学5年の時でした。当時は野球をしている時だけ、原爆のつらい思い出を頭から消すことができました。スポーツをすることが救いであり、幸せでもありました。

 今の若者たちに伝えたいのは、スポーツを心から楽しむことができるのは平和があってこそだ、ということ。戦争が始まれば、スポーツに限らずどんなイベントもできないでしょう。

 ―被爆時の状況を覚えていますか。
 おぼろげな記憶の中で、覚えている光景もあります。原爆投下直後に避難した近くのブドウ畑。そこでの焼けた人の臭いは決して忘れません。うなされてどぶ川に飛び込む人、気が動転して夜中に大声で叫ぶ人もいました。

 私には自慢の姉がいました。黒髪で背が高く、名前を点子と言いました。投下から1、2日後、担架で運ばれてきました。顔は赤く焼けただれ、誰か分からないほどでした。そこらにあったブドウをつぶし、うなされる姉の口に当てました。「ありがとう…」。私が聞いた姉の声はそれが最後でした。

 ―現役時代、周囲には被爆について語らなかったそうですね。
 隠していたわけではないですが、言ってもプラスにならないと考えていました。子どもの頃から、周囲のほとんどが被爆者であることを口にしませんでした。他県から転校してきた子の親が「(被爆者に)近寄るな」と言うのを聞いたこともある。知識のない人が多かったのです。

 プロ野球選手となり遠征で広島へ訪れるたび、「嫌だな」と感じました。つらい思い出が走馬灯のように頭をよぎったのです。年に1度、球団の検診があり、毎年、結果が判明するまでは「原爆症が出るのでは」と不安な思いもしました。

 ―1976年、広島市民球場での乱闘事件で、ファンに暴行したとの誤解を受けました。
 あの時は実家に石を投げられるなど大変だった。けど、私が暴行していないことが明らかになった後、数十人の広島ファンは頭を丸刈りにして「すまなかった」と謝ってくれた。さすが野球ファンだ、と思った。誰でも間違いはあるし、今は気にしていない。私は広島の男。広島県人の気質は分かります。

 ―近頃はさまざまな場所で被爆体験を語っています。きっかけは。
 10年ほど前、テレビで若者が「原爆の落ちた場所を知らない」「私たちには関係ない」などと発言をしていました。腹が立ち、日本は大変な国になると危機感を持ちました。今、72歳。われわれの世代は最後のメッセンジャーとなるかもしれない。原爆の悲惨さを後世に伝えなければなりません。

  ―始球式にどんな思いを込めますか。
 原爆で亡くなった方は「犠牲者」ではない。私たちの「身代わり」になっただけで、いつか自分が被爆する可能性もあります。

 核兵器廃絶は、私が生きているうちにはかなわないかもしれない。それでも、その願いを若者たちに託したい。今後、平和を発信するイベントを広島だけでなく、全国、いや世界各地で開いてほしいと願っています。

≪張本さんヒストリー≫
1940年 ●広島市で生まれる
  45年 ●広島市南区の自宅で原爆に遭う
  59年 ●東映に入団、新人王を獲得
  61年 ●首位打者になる
  62年 ●パ・リーグ最優秀選手(MVP)に輝き、チームを日本一に導く
  70年 ●当時の日本記録となるシーズン最高打率3割8分3厘4毛を樹立
  76年 ●巨人へ移籍
  80年 ●ロッテ移籍、プロ野球史上初となる3千本安打を本塁打で達成
  81年 ●現役引退
  90年 ●野球殿堂入り

はりもと・いさお
 1940年6月19日生まれ。比治山小、段原中、松本商高(現瀬戸内高)、浪商高(現大体大浪商高)を経て59年、東映に入団。以降、日拓、日本ハム、巨人、ロッテでプレー。類いまれなる打撃センスから「安打製造機」と称され、7度の首位打者を獲得。90年に野球殿堂入りした。東京都大田区在住。

広島市民球場の乱闘事件
 1976年4月16日の広島―巨人戦。九回に微妙な判定があり、試合後、観客が巨人のバスへ詰めかけた。その際、ファンが巨人選手に殴られた。当初は張本さんが手を出したとされ、書類送検されたが、後日、スポーツ紙にほかの選手が殴った瞬間の写真が掲載。張本さんは不起訴となった。

(2012年8月3日朝刊掲載)

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