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被爆67年式典 記憶刻む 石川県から娘と初参列

 広島原爆の日の6日、惨禍に巻き込まれた人々の冥福や平和への祈りが広島市や周辺で続いた。あの日から67年。被爆者の高齢化が進む中、体験の継承や核兵器の廃絶を目指すイベントも繰り広げられた。

 石川県遺族代表で被爆者の北野信子さん(71)=小松市=は初めて平和記念式典に臨んだ。娘や孫と一緒に折った千羽鶴を携えて。母と姉を奪った、67年前のあの日。家族の後押しや福島第1原発事故を受け、しまい込んできた記憶と向き合うことにした。

 「これまで生きてこられたのは、母と姉が守ってくれたから」。長女の陣内智子さん(46)=金沢市=と連れ立って式典に出席した。3世代で折った千羽鶴に鎮魂と感謝の気持ちを込めた。

 銀行員の父の転勤で白島九軒町(現広島市中区)で暮らしていた。当時4歳。爆心から約1・7キロの近所の家で被爆しガラス片が顔や手足に刺さった。

 大阪府泉南市の父の実家に家族で戻るための準備で母は外出していた。広島女学院高等女学校1年で建物疎開に出ていた姉とともに見つかっていない。

 戦後は大阪に戻り、結婚後に石川へ。差別を恐れ、被爆の話は避けた。被爆者健康手帳もあえて申請しなかった。体調を崩しがちなことから、陣内さんの勧めで2010年秋に取得。11年の原発事故で放射能の危険性を再認識した。「核被害のない世界を目指し、被爆者として声を上げなければ」。遺族代表に自ら手を挙げた。

 陣内さんも北野さんの思いをくみ「被爆体験を風化させてはいけない」と被爆2世の連帯を訴える。自分につながる家族が生きた証しを探し、これからも広島を訪ねるつもりだ。(野田華奈子)

(2012年8月7日朝刊掲載)

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