×

連載・特集

被爆67年 被爆・再建 寺の使命背負う

 広島原爆の日の6日、惨禍に巻き込まれた人々の冥福や平和への祈りが広島市や周辺で続いた。あの日から67年。被爆者の高齢化が進む中、体験の継承や核兵器の廃絶を目指すイベントも繰り広げられた。

 平和記念公園(広島市中区)に響く読経の声がことし、一つ増えた。原爆で消えた町、旧中島本町の犠牲者を弔う法要。浄宝寺住職の隣に副住職の諏訪義円さん(39)は座った。「自分なりに平和発信の方法を探したい」。67年前に消失し、再建された寺の後継者として初めて、この特別な日に臨んだ。

 旧中島本町は、現在の平和記念公園内の原爆慰霊碑から北側に広がっていた。公園内の住民慰霊碑「平和乃観音」像の傍らには「死没者芳名」碑。438人の名前を刻む。

 町内にあった浄宝寺もあの日、大勢の住民とともに焼かれた。1953年、門徒の協力で現在地(中区大手町)に再建。毎年原爆の日に追悼法要を開いてきた。

 義円さんは海宝寺(中区江波南)の次男で、ことし1月に諏訪了我住職(79)の養子となった。原爆で家族を失った住職の証言に重みを感じ、「それに比べ自分は」とわが身を問うた。戦争を知らない世代。被爆者の祖母も体験を語ろうとしなかった。

 「原爆や平和にどう向き合い、何を伝えればいいのか」。広島市が初めて募った「被爆体験伝承者」に迷わず応募し、7月から3年の研修を受け始めたのは、迷いから一歩踏み出したかったからだ。

 この日の法要で、多くの被爆者や遺族に出会った。「気負わず、自分のできることをすればいい」と住職に励まされた。「まずは、寺を頼りにしてくれる被爆者や遺族にしっかり寄り添っていきたい」(有岡英俊)

(2012年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ