引野の戦禍 福山空襲67年 <下> 防空壕
12年8月17日
事故防止 埋められる穴
茶のまだら模様をした岩肌に高さ1・5メートル、幅1メートル、奥行き3メートルの横穴がある。家庭用の防空壕(ごう)。「もう市内でもほとんど残ってないだろうね」。福山市引野町にある藤井成泰さん(69)方の裏庭。引野公民館の藤井和寿館長(65)が穴をのぞき込んだ。入れるのは大人3人がやっとだ。
家族を守るため、人々は空襲に備えて家に面した山に自力で穴を掘った。そして戦後、事故防止などのため防空壕の大半はふさがれた。
近くの岩崎和紀さん(63)方でも、2年前に県の崩落防止工事のためコンクリートで埋めた。姉の喜美子さん(78)は、福山空襲を覚えている。「焼夷(しょうい)弾を見て、とっさに山へ走ったんです。家の近くは危ないと思ったし、防空壕は狭かったんで」。その後の生活は空襲前、防空壕に祖父が保管していた米に助けられた。
藤井さんは6月、公民館が地元の史跡を募っていることを知り、初めてその存在を人に伝えた。やはり今年、市の崩落防止工事で埋められることが決まったからだ。
「無くなることになって急に、懸命に穴を掘った親の気持ちを考えた。この地でも戦災があったことを伝えたい、と思うようになった」と藤井さん。6月末には藤井館長の提案で、引野小児童の見学を受け入れた。
今月1日、業者が現場の下見に訪れた。工事は20日ごろに始まる。藤井さんは、静かにつぶやく。「歴史の跡は埋もれていく。後世への伝え方を考えないといけないね」(久保友美恵)
(2012年8月11日朝刊掲載)