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硫黄島 政府特命チーム発足2年 遺骨収集 時間との闘い

 太平洋戦争末期の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)で、旧日本兵の遺骨収集を進める政府特命チームが発足して2年。収容された遺骨は2010年度以降、大幅に増えているが、同島内にはなお約1万1千体が眠っている。収集作業には広島県の遺族も参加し、高齢化の中、「一体でも多く」と焦眉の思いを募らせる。若い人の協力が求められている。(編集委員・串信考)

 硫黄島では1945年2~3月、米軍との戦闘で日本兵約2万1900人が戦死。遺骨収集は、硫黄島が米国から返還された68年から本格化し、現在、1万52体が収容されたものの、全戦死者の半分にも届いていない。

 特命チームは、収集促進のために菅直人前首相の指示で2010年8月発足。米側の資料などで日本兵を集団埋葬した場所などを調べ、同年度は822体を収容。前年度の51体に比べ大幅に増やした。

やっと1万体

 12年度はすでに遺骨収集を3回実施。7月の派遣団に、広島県硫黄島遺族会の金井正弘会長(73)=広島市東区=も参加した。父が夜間突撃で戦死。遺骨収集参加は7回目だ。

 「捜せば遺骨は出てくる。父の骨とは限らないが、もしかしたらと思う。ひとかけらでも見つかれば連れて帰るのが遺族の使命」

 今回は、島中央にある自衛隊航空基地西側の集団埋葬地で143体を収容し、累計でやっと1万体を超えた。

 硫黄島では作業中に不発弾が見つかることが珍しくなく、自衛隊員が立ち会って行われる。地下壕(ごう)に入る場合も自衛隊員が中の酸素濃度をチェック。入れても壕内の温度は50度ぐらいあり、5分も作業が続けられないこともあるという。

 国は13年度末をめどに、硫黄島を30区分して地下壕の有無など集中的に調査する計画。

 金井会長は「何年も遺骨収集をやっているが点としての作業だった。特命チームができて面的な調査がずっと進んでいる」と評価する。その一方で「肝心な所はまだ手つかずだ」とも指摘する。

 島中央の自衛隊航空基地は、米軍が硫黄島占領後に旧日本軍の飛行場を拡張して使った施設を引き継いだ。その滑走路の下や、米軍が駐機場として舗装した場所の下などに地下壕が埋まっている可能性がある。現在、厚生労働省と防衛省が調査しているが、滑走路の下に地下壕があると分かった場合、どのように収集を進めるか。大きな課題となりそうだ。

身元特定まれ

 遺骨のそばで名前入りの万年筆が見つかり遺族とのDNA鑑定で身元が特定できたケースもあるが、ごくまれであり、ほとんど身元は分からないという。

 遺族の高齢化の問題もある。金井さんは「遺児の多くは70歳代。収集活動があと10年、15年続けられるかどうか」と危惧する。「若い人の力を借りないといけなくなる」

 硫黄島の遺骨収集では、協力するNP0法人が作業に従事するボランティアを募集。7月の派遣団では全52人のうち十数人の若者が参加した。過去の戦争の記憶をとどめ、歴史の教訓を継承するためにも若い世代が参加しやすい仕組みづくりを進めるのも必要だろう。

戦没者数
 1937年の日中戦争以降、海外の戦没者総数は約240万人。うち127万体の遺骨が帰還し、未帰還は113万体。輸送船が沈められて海中に没したり、相手国が日本の収集を受け入れないなどの事情を除くと帰還が可能なのは約61万体と推定されている。広島県の戦没者は7万3293人、山口県は約4万3千人。岡山県、島根県、鳥取県は5万~2万人(起算は1931年の満州事変以降など)。

(2012年8月12日朝刊掲載)

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