×

連載・特集

PKO自衛隊派遣20年 重み増す呉基地 施設を拡張 広がる任務

 1992年9月。自衛隊初の国連平和維持活動(PKO)派遣部隊が、海上自衛隊呉基地(呉市)からカンボジアに向け出発した。17日でちょうど20年。この間、自衛隊のPKO活動はほぼ途切れることなく続き、PKO以外での海外派遣も活発化している。任務の幅の広がりに伴い、派遣拠点の呉基地にも変化が及んでいる。(小林可奈)

 昭和町の呉基地には三つの桟橋が呉湾に突き出している。ここから20年前、カンボジアで道路補修などに当たる陸上自衛隊の隊員や物資を載せ、同基地を母港とする補給艦とわだが出港した。横須賀基地所属の輸送艦2隻も一緒だった。

 呉基地では今、桟橋の延長や新設など施設工事が本格化しようとしている。配備艦船の大型化に対応するためだ。同基地から海外派遣された12隻のうち8隻が98~2005年に就役した。おおすみ型輸送艦(8900トン)3隻は、それまでの輸送艦の約3倍の物資を積み込める。ただ呉地方総監部は「低下している係留率を是正するため。設備の増強とは考えていない」と説明する。

 日本のPKO参加は20年間で13件。そのうち自衛隊が関わったのは9件だ。呉基地から艦船が出たのは最初のカンボジア、02年の東ティモールの2回しかない。ただ、海外派遣は活発になり、任務も多様化してきた。

 01年にテロ対策特別措置法、03年にイラク復興支援特別措置法が成立。呉基地からも、外国艦船への給油や地震被災国への仮設住宅輸送などPKO以外の活動で12隻の艦船が延べ29回海外に向かった。

 世論も変化した。当初は海外派遣の是非をめぐり賛否は割れた。総理府(現内閣府)の1994年の世論調査では日本のPKO参加に肯定的な意見は58・9%。それが昨年の調査では83・6%まで上がった。こうした流れの中での施設拡張である。

 広島大平和科学研究センターの篠田英朗准教授(平和構築)は、自衛隊によるPKO活動は他の海外派遣に比べ低調だが定着したとしつつ、「私たちは日本が何を目指し、参加するのか問題意識を持ち考える必要がある」。

 軍事評論家の前田哲男さん(73)は、PKOや自衛隊の行動の変化が国民に伝わっているだろうかと疑問を呈した上で、国際協力の在り方を見直す時期に来ていると考える。「自衛隊の能力、装備を取り入れた国際緊急援助隊を強化し、日本型の組織をつくったほうがよい」と提言する。

≪自衛隊のPKO活動地域≫

●過去に活動した地域
・ネパール
・カンボジア
・スーダン
・モザンビーク

●現在活動する地域
・ハイチ
・東ティモール
・ゴラン高原
・南スーダン

≪PKOと海外派遣に関する呉基地の主な動き≫

1991年 4月 ペルシャ湾へ掃海部隊派遣
1992年 9月 PKO協力法に基づき、カンボジアへ補給艦派遣
1999年 9月 トルコ地震のため、輸送艦、掃海母艦派遣
2001年11月 テロ対策特措法に基づき、インド洋へ補給艦派遣
2002年 3月 PKO協力法に基づき、東ティモールへ輸送艦派遣
2004年 2月 イラク復興支援特措法に基づき、クウェートへ輸送艦派遣
2009年 3月 ソマリア沖での海賊対策のため護衛艦派遣

国連平和維持活動(PKO)
 紛争解決のため国連が組織し停戦や選挙監視、復興支援をする活動。日本は、紛争当事者間の停戦合意成立など参加5原則を定めたPKO協力法を基に人員を派遣する。2度の法改正で武器使用を緩和するなどし、政府は3度目の改正を検討している。自衛隊員は延べ約7600人が派遣され、インフラ整備などに従事。今も南スーダンなど4地域で活動する。

PKO自衛隊派遣20年 落合畯さん/湯浅一郎さん

 PKO協力法に基づき、自衛隊初の海外派遣部隊がカンボジアに出発した1992年、呉地方総監部幕僚長だった落合畯さん、海上で抗議行動をした当時市民団体世話人の湯浅一郎さんに、20年前の派遣の意味、これから自衛隊はPKOにどう関わるべきか聞いた。

元海上自衛隊呉地方総監部幕僚長 落合畯さん

国益につながる

 国連平和協力法案が廃案になった2年後にPKO協力法が成立したのには驚いた。ペルシャ湾派遣時は世論の大半が自衛隊の海外派遣に否定的。成立は無理と思っていた。

 派遣部隊が呉から出港したのは、現地で活動する陸上自衛隊第13師団(現在は旅団、広島県海田町)が海自呉基地に近かったのと、スペースの広い呉基地は物資の運搬作業に適していたから。隊員は法成立後、初の国際協力業務に従事するという誇りを感じていた。

 自衛隊の国際協力活動は、国際社会の一員としての義務を果たしているにすぎない。また、資源がなく輸入が頼りの日本にとって、海上交通路がもめていたら大変だ。国際平和の維持、再構築のための活動は、国益につながる。

 ただ、部隊が現地で能力を発揮するためには、憲法上で自衛隊の立場を明確にし、軍隊のような装備にするべきだ。加えて、交戦規定や、初動を迅速にするためにも恒久法を整備する必要がある。

おちあい・たおさ
 1939年神奈川県横須賀市生まれ。63年海自隊入隊。91年に海自隊ペルシャ湾掃海派遣部隊を指揮し、92~93年、呉地方総監部幕僚長。94年から海自隊第1術科学校(江田島市)校長を務め、96年退官。父は沖縄戦で自決した海軍司令官、大田実中将。神奈川県鎌倉市在住。73歳。

NPO団体「ピースデポ」代表 湯浅一郎さん

非軍事的活動を

 カンボジア派遣の日は仲間40人と、ゴムボート16隻に乗り、呉港で抗議行動をした。軍艦マーチが流れ、隊員の妻たちが涙を流していたのが強く印象に残っている。緊張感が漂っていた。

 自衛隊は装備から見れば軍隊。派遣は武力行使や集団的自衛権行使につながりかねない。だが、この20年で自衛隊の海外派遣は活発化。呉基地から補給艦が出港した2001年のインド洋など、争いが続く地域にも赴くようになった。市民も報道も派遣に慣れてしまった。

 それ故に、人々が事実を知らない、知ろうとしない状況が生まれている。最近では陸自が内戦の続く南スーダンに行ったが、PKO協力法の参加5原則から見て無理がある。こうしたことに問題意識を持つ必要がある。

 自衛隊はPKOの中でも非軍事的な活動、災害救助で活躍できるし、関わっていくべきだ。しかしその際、自衛隊ではなく、命令系統が異なる別の組織として派遣するべきだ。

ゆあさ・いちろう
 1949年東京都生まれ。東北大大学院修了。75年に通産省中国工業技術試験所(現産業技術総合研究所中国センター)に入る。89年に市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」を結成。2007年まで呉地区世話人を務め、09年に呉市を離れた。東京都小金井市在住。62歳。

(2012年9月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ