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焼け野原に生活の息吹 被爆7ヵ月後の広島写真 「後世へ」資料館に寄贈へ

 山口県岩国市山手町の紳士服販売藤田信雄さん(49)方で、原爆投下から7カ月後の広島市内の光景を捉えた写真14枚が見つかった。惨状の中にも、暮らしの息遣いが感じられるカットも。藤田さんは近く、同市中区の原爆資料館に寄贈する。写真の一部を紹介する。(堀晋也)

 旧広島逓信局(中区東白島町)近く。ぽつんと立つ木造の小屋の前で、袖に棒を通して2枚の上着が干されている。焼け野原の中で暮らす人々の生活感がにじむ場面だ。裏には被爆の翌年3月の撮影日を示す「広島ニテ 21・3・10 原子爆弾」と記されている。

 写真は晩年を藤田さんらと暮らした大叔母古沢正子さんの遺品から出てきた。ぐにゃぐにゃに曲がった鉄骨や本殿がなくなった広瀬神社、光道国民学校近くの往来を歩く人の姿なども白黒の手札判サイズで残っていた。

 広島市内で書店を経営していた古沢夫妻。正子さんか、夫の政太郎さんが写したとみられる。藤田さんによると、正子さんは爆風で右肩に受けたガラス片を2000年に亡くなるまで取り出すことはなかったという。

 被爆2世の藤田さんは「風化させてはならない事実はある。後世に広く伝えられれば」と話している。

(2012年10月16日朝刊掲載)

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