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なぜなに探偵団 なぜカザフスタンにヒバクシャがいるの?

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 広島の若者(わかもの)グループCANVaS(キャンバス)は、長年繰(く)り返(かえ)された核(かく)実験で多くの被害(ひがい)者を生んだカザフスタンのセメイ市で、現地(げんち)の大学生と一緒(いっしょ)に平和フォーラムを開きました。ホームページを共同で作り、核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を訴(うった)えることを決めました。(9月24日付朝刊(ちょうかん)19面から)

ソ連時代 空中・地上で多くの核実験

 カザフスタンは、中央アジアに位置し、北はロシア、東は中国に接(せっ)しています。国土は日本の約7倍の272万4900平方キロ。とても大きな国です。かつてはソ連の一部でしたが、1991年12月に独立(どくりつ)しました。

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 原爆(げんばく)が投下された広島、長崎と同じように、核兵器の被害を受けています。国内に、旧ソ連最大のセミパラチンスク核実験場があったからです。ソ連初の核実験も、ここで49年に実施(じっし)されました。

 当時、ソ連と米国は冷戦中。激(はげ)しく対立し、互(たが)いに軍事力を強化していました。そのため、同核実験場では89年までに、核実験が450回以上も繰り返されました。うち100回以上は空中や地上で行われ、放射性物質(ほうしゃせいぶっしつ)が広範囲(こうはんい)にばらまかれました。

 2002年から毎年、現地を訪(おとず)れ、約2300人の住民にアンケートした広島大平和科学研究センターの川野徳幸准教授(かわの・のりゆきじゅんきょうじゅ)(46)によると、爆発(ばくはつ)地点から約100キロ離(はな)れていても、光を見たり、爆風を感じたりした人が多くいました。

 熱や地面の揺(ゆ)れを感じ、ほこりや雨を浴びたと答えた人もいます。核実験の時、家の外に出るように指示(しじ)されたとの証言(しょうげん)もあり、被害者の中には、人体実験だったと考えている人もいるそうです。

 住民は、核実験の放射線がどれほど危険(きけん)か知らされていませんでした。そのため、水爆実験で人工的に造(つく)られた湖での水泳や、実験場内での放牧も行われていました。

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 セミパラチンスク核実験場は91年8月、住民たちの強い反対運動によって閉鎖(へいさ)されました。しかし、それから21年たった今でも、健康被害に苦しんでいる人がいます。カザフスタン政府(せいふ)によると、影響(えいきょう)を受けた人は約150万人。がんになる人が多く、貧血(ひんけつ)、呼吸(こきゅう)器、消化器などの病気にかかっているそうです。現地の医師(いし)も心臓(しんぞう)病やがんが多いと話しています。生まれつき障害(しょうがい)がある人もいます。

 こうした人たちの助けになりたいと、被爆(ひばく)地広島の市民団体ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトは99年から、医師の派遣(はけん)や医療(いりょう)機器の寄贈(きぞう)などで支援(しえん)を続けています。若者グループのキャンバスも、現地の若者と交流し、核兵器廃絶を目指す活動に取り組んでいます。(増田咲子(ますだ・さきこ))

≪そもそもキーワード≫

セミパラチンスク核実験場
 旧ソ連最大の核実験場。広さは四国とほぼ同じ約1万8500平方キロ。1949年から89年まで、450回を超(こ)す核実験が行われた

冷戦
 第2次世界大戦後、米国を中心とした資本主義(しほんしゅぎ)の国々と、旧ソ連を中心とした社会主義の国々が、戦争には至(いた)らない厳(きび)しい対立を続けた。89年12月の米ソ首脳(しゅのう)会談で冷戦の終結を宣言(せんげん)

(2012年11月4日朝刊掲載)

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