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連載・特集

「トホホ福島日記」 ① フクシマ 漫画・文で発信

 福島市の高校美術教諭赤城修司さん(44)が、小学生の2人の娘の子育てや日々の生活についてつづる4こま漫画&エッセー「トホホ福島日記」を月1回掲載します。東京電力福島第1原発の放射能漏れ事故後、福島に住む人たちがどんな不安を抱えて暮らしているのか、何を求めているのか、発信してもらいます。(平井敦子)

 赤城さんは、高校教諭の妻(45)、小学5年の長女(11)、2年の次女(8)との4人家族。原発事故による影響を心配して昨年5月から、娘2人を福島県会津若松市の祖父母宅に避難させている。

 福島市から会津若松まで約80キロ、車で1時間ほど。夫妻は福島市内で働きながら、交代で娘のもとに通う生活を続けている。大きな負担を伴う決断。夫婦で何度も議論を重ねてたどり着いた。娘たちは嫌がっていた転校を受け入れ、新たな学校生活を始めている。

 「放射能汚染のリスクについて、僕は深刻に考えすぎかもしれません」と赤城さんは語る。同じ福島市内に住んでいても、リスクをどうとらえるか、避難することをどうみるか、かなり個人差があるという。「相手の『温度』が分からないと、放射能汚染の話もしにくい。考えが違うとギスギスしてしまう。それがとても残念です」とも。

 昨年末は、美術交流のために教え子を引率し、家族とともに広島市を5日間訪れた。「原爆が投下された広島でも、福島の今の不安が十分に伝わっていないように思った。ありのままのフクシマを漫画とエッセーで伝えたい」と話している。

放射線量測る生活 日常化

 福島市で「いま、いくつ?」と言えば、相手の年齢でも、気温のことでもない。放射線の空間線量のことである。0・09と言えば、単位を言う必要はない。毎時マイクロシーベルトのことである。

 ちなみに原発事故前の日本国内の平常値は0・04~0・08ほど。しかし現在、福島市内では、コンクリートの建物ならば0・10、屋外では0・60~1・00程度だ。雨どいの下や側溝などは5・00とか20・00の数字が出るのも珍しくない。僕たちにとって放射線が身の回りにあることは既に日常なのである。

 最後のこまは、放射性物質の半減期についてだ。その力が半分になる期間は核種によって違い、セシウム137は30年、プルトニウム239は2万4000年である。

 うちの小学5年の娘は1945年に広島に原爆が落ちたのならば、まだ放射線が残っているはずだと考えた。その答えは僕も知らない。こういったことを、自分たちの生活や将来や健康に直結した知識として考えざるを得ない街が福島市なのである。(漫画と文・福島市の高校美術教師 赤城修司さん)

(2012年1月10日朝刊掲載)

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