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連載・特集

和合亮一 言葉を信じて 3.11から2年 <下> ありのまま 未来へ紡ぐ

 <福島市の詩人和合亮一さん(44)。東日本大震災後の自らの変化について、山口市の山口情報芸術センターで語った>

 福島第1原発の爆発後、みんな慌てて、どんどんいなくなった。福島を日本一の町にしようとまちづくりをしていたのに。失望と絶望。放射能は福島を根こそぎ壊していった。

 3日間は避難所で過ごし、14日に自宅に戻った。妻子は福島を離れ、一人きり。本当の孤独を言葉にしたいと思った。言葉にすがりついていなければ、存在を実感できない気持ち。目の前にあったのが、言葉だけだった。

 自分のありよう、常識や生き方が音を立てて崩れた。自分の詩はがれきになった。この震災の意味を、福島にいる自分が伝えていかなければ、福島はなくなってしまう。目の前のことをありのまま、そのままに書くことに徹する。震災前とは大きく変わった。

 全く違うまなざしで本棚にある先人たちの詩集を手に取った。中原中也、宮沢賢治、草野心平、広島で被爆した峠三吉の「原爆詩集」もあった。

 原爆は人間性、古里そのものを根絶やしにし、奪い尽くした。峠は絶望と向き合いながら、原爆投下後の広島をありのまま書いた。「ちちをかえせ ははをかえせ」という峠の気持ちはよく分かる。私にも「奪われたものをかえせ」という怒りはものすごくある。

 峠の詩に込められた怒りは、自分の怒りと全く同じだった。私も、今の現実を全てありのまま、そのままに書きたいと思った。

 ツイッターで言葉を発し始めて3カ月余りたって、被災者はどう思っているだろうと考え始めた。追い詰め、悲しみを深めているのではないかと悩んだ。

 そんな時、避難所にいる人たちが、僕が書いた言葉をノートに書き写し、回し読みしているという話を雑誌編集者から聞いた。安心した。峠の詩の意味がやっと分かった気がした。僕の前には、峠がいるじゃないか。頑張れるよな。そう思うようになった。

 言葉は橋になる。ただ、目の前に原爆詩という橋があったのに、原爆の悲惨さを受け止めることができていなかった。「とにかく豊かに」と生きてきて、手に負えない原発が私たちを追い越した。

 震災をありのまま記録し、未来の子どもたちへ手渡さなくてはいけない。古里を諦めない。言葉の橋を懸け続けていきたい。(渡辺敬子)

「一歩」 和合亮一

誰も
知らない野原を

誰かが歩いた
足跡がある

次の誰かがまた
その上を歩いたから

足跡はやがて
小さな道になる

次 次
誰かがたくさん歩き
小さな道は

そして たしかな
大きな通りになった

誰かの一人
となって

私もこの道を
歩いていこう

(2013年3月13日朝刊掲載)

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