×

連載・特集

中高生ピースマイルフェスタ 語った 10代の思い

 平和な未来に向けて10代ができることを一緒に考える「中高生ピースマイルフェスタ」(中国新聞社主催、ヒロシマ平和創造基金後援)が30日、広島市中区の中国新聞ビルで開かれ、約400人が参加した。音楽ステージ、ワークショップ、ブース、フィナーレで構成。音楽ステージでは福島と広島の中高生が平和と復興を目指すハーモニーを奏でた。ワークショップは七つのテーマごとに膝を交えて率直に意見を述べ合った。若者の平和活動などについて紹介したブース展示では、訪れた人が熱心に見ていた。締めくくりのフィナーレでは、フェスタ全体を踏まえて、宣言文「私たちのピースマイル」を発表。平和と笑顔の花を咲かせるための七つの行動目標を決めた。フェスタの企画・運営は、中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターを拠点に活動しているジュニアライターが担当した。(二井理江、増田咲子、山本乃輔、神下慶吾)


宣言文「私たちのピースマイル」

 今、日本は戦争がないという点では平和かもしれません。しかし、自殺者が毎年のように3万人を超え、いじめを苦にした子どもたちもたくさん含まれます。人とのつながりが希薄になっていて、相談する相手がおらず、自分の中で悩みやストレスを背負い込んでしまうケースも多くあります。

 東日本大震災の被災地では、応援されるのが励みになる一方、後ろ向きに考えることが許されない雰囲気もあります。原発事故のあった福島では、今も放射線の被害が大きく、復興が進んでいません。

 私たちは今日の「中高生ピースマイルフェスタ」で、人は人とつながることで生きていけることを学びました。平和な世界をつくり、笑顔の花を咲かせるため、次の七つの行動を実行します。

 ・寛容な気持ちを持つ
 ・国を超えた人と人との助け合いを大切にする
 ・自分の立場に置き換える
 ・一日一日を大切に生きる
 ・一緒にご飯を食べる
 ・時には弱音を吐く
 ・相手を信頼する

 一人一人が主役になって、未来を切り開いていきましょう。

7テーマでワークショップ

 小学5年生から70代までの約150人が、いじめなど身近なテーマや、東日本大震災からの復興、国際協力などなど幅広い七つのテーマに分かれ、車座で話し合った。

■フクシマの今

 東日本大震災に伴う福島第1原発事故が起き、放射能汚染が深刻な福島県の復興に向け、何ができるか考えた。

 福島県から招いた県立葵高(会津若松市)合唱部で2年の佐々木奈央さん(17)ら同校の生徒4人が、放射能汚染がひどく復興が遅れている現状などを説明。佐々木さんは「広島は被爆後、すごくきれいな街になった。私たちも諦めず、復興に向かっていきたい」と述べた。

 その上で、参加者は、復興のためにしたいことを発表し合った。「『放射能がうつる』など、いわれのない差別がある。正しい知識を伝えたい」「忘れないことが大切だ」などの意見が出た。

■いじめって?

 それぞれが自らの体験を語るとともに、解決策を検討した。インターネットのテレビ電話で、ドイツの例も学んだ。

 体験談からは、いじめが原因で自殺した子に生前、相談を受けていた知人が自責の念に駆られているケースや、担任に相談したら皆の前で言われて事態が悪化した例が出された。

 ドイツで学校と連携して、いじめや差別をなくす活動をしている大学生アニカ・ノイシュルツさん(20)は、いじめが起きたら、別の生徒を含む仲介グループがいじめている人を指導する、と紹介。いじめられている子どもが助けを求めやすいよう、先生と生徒との信頼関係を築く重要性を指摘した。

■世界とつながる

 フィリピン、韓国の若者と、インターネットのテレビ電話で交流した。互いを知り、個性を認め合う大切さを体感した。

 フィリピン・ミンダナオ島の若者とのテレビ電話では、相手から「フィリピン人についてどう思うか」と聞かれ、「バナナが好きそう」と回答。すぐにうち解けた。韓国の中高生とは、韓国のポップミュージックの話で盛り上がった。

 講師のNPO法人ANT―Hiroshima(アント、広島市中区)の渡部朋子さん(59)は「国際協力は個人のつながりから始まる。対等の立場で一緒に汗をかくことが大切」と話していた。

■お好み焼きと復興

 戦後、広島でお好み焼き店が広く普及した経緯を、オタフクソース(広島市西区)お好み焼課長の新見改歴(かいれき)さん(47)からクイズを交えながら学んだ。

 お好み焼きは戦後、米軍から配給された小麦粉で空腹を満たそうと、水で延ばしてネギを入れて焼いたのが始まり。原爆でも鉄は溶けずに残り、軍都だった広島では鉄板を手に入れやすかった。

 夫が死んだり行方不明になったりした女性が家事、育児をしながら生計を立てるために軒先などで開業。行方不明の家族に自分の存在を知らせようと、店名に「ちゃん」を付けるケースが多かったことにも触れた。

■私たちの2045年

 新聞を題材に、今が平和かどうかを話し合うとともに、被爆100周年となる2045年に、平和な社会を実現するための目標をそれぞれが決めた。

 3月30日付の本紙朝刊社会面の2ページに載っている記事や漫画、広告を活用。4人一組に分かれ、各自が平和だと思うものには青、平和ではないと思えば赤で囲み、その理由を説明し合った。人によって考えが違うことを学んだ。

 その後、平和な2045年の実現に向け、それぞれの目標を紙に記した。葵高2年田中美聡(みさと)さん(17)は「人とのつながりを大事にする」と誓った。

 ゲスト講師として進行役を務めたNPO法人ひろしまジン大学(中区)の平尾順平学長(36)は「日常会話の中でも、平和について考える機会をつくるきっかけになれば」と話していた。

■記憶を受け継ぐ

 被爆者の川本省三(しょうそう)さん(79)=広島市西区=が自らの体験を証言。参加者に「平和の実現には、悲しいできごとや思いを他人に伝えることが重要」と訴えた。

 川本さんは原爆で両親ときょうだいの計6人を亡くした。神杉村(現三次市)に疎開していて、投下3日後の1945年8月9日に入市被爆。広島駅前で出会った多くの原爆孤児が空腹から小石を口に入れて飢えをしのいだり、道端で餓死したりしていたという。

 「原爆は多くの孤児も生み、彼らを苦しめたことも知ってほしい」と強調していた。

 参加した鈴峯女子高1年槙本実梨(みのり)さん(16)=広島市安佐南区=は「孤児の話は知らなかった。多くの人に悲惨さを伝えたい」と話していた。

■平和の絵本をつくろう

 「平和」の言葉を使わずに、平和をテーマにしたオリジナル作品作りに挑戦した。

 日本児童文学者協会広島支部代表の三浦精子さん(76)が指導。1枚の紙で手のひらサイズの本が簡単に作れる方法を習ったほか、開くと中身が飛び出すように見えたり、ページをめくると見え方が変わったりする工夫も教わった。

 「自分の思いを絵本にすることで他者や後世に継承できる」と三浦さん。葵高2年加藤仁美さん(17)は、津波で両親を亡くした少女の話を基にした。花や動物の絵を周囲に描き「支えてくれる人は必ず周りにいる」と話していた。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ブースにぎわう
 会場には、中高生たちの平和活動を紹介したり、国内外のフェアトレード商品を販売したりする14のブースが設けられた。

 基町高(中区)創造表現コースは、生徒の油絵を展示。被爆証言を基に、がれきの下敷きになった女性が少年の足をつかむ場面などを描いている。戸坂中(東区)2年の望月あかりさん(14)は「表情から、当時の悲惨な状況が伝わってくる」と見入っていた。

 新潟県長岡市の長岡南中は、1945年8月1日の長岡空襲や広島に投下された原爆について学んだ平和学習の成果を模造紙に書いて紹介した。

 このほか、被爆樹木のアオギリをテーマにした絵本や、パレスチナの女性たちが刺しゅうした小物の販売などもあった。

ピースメッセージ
 ホールであった「フィナーレ」では、フェスタの来場者たちに平和への思いを笑顔で語ってもらったビデオメッセージを上映した。

 来場者に加え、事前に平和記念公園(広島市中区)などでジュニアライターが撮影した計54組分。「福島に元気を」「どんなことにも負けずに頑張ります」などの激励文や誓いのメッセージ、ピースサインを作って笑顔で平和を願う人たちの様子を紹介。復興や平和への思いを、観客約100人と共有した。

メッセージボード
 フェスタの会場入り口付近には、福島県立葵高合唱部(会津若松市)に贈るメッセージボードが置かれた。会場を訪れた人たちが復興を願う言葉や、合唱部の美しい歌声への感想を思い思いに書き、ボードに貼り付けた。

 ボードは縦約60センチ、横約90センチの発泡スチロール製で、澄んだ空をイメージした青色。来場者は色とりどりの折り鶴を挟んだ、長さ10センチ程度の白い紙飛行機の翼部分に「広島から応援しています」「明るい歌声に勇気をもらいました」などと書き、ボードに貼っていった。約100機の飛行機が天空に向かって一斉に飛んでいるような形に仕上がった。

 広島女学院高(広島市東区)1年の石本晴菜さん(16)は「被災地のことが心配。1日でも早く復興しますように」と願っていた。ボードは後日、ジュニアライターが葵高に送る。

音楽ステージ
 午前中にあった音楽ステージには、広島、福島両県の計3校が出演。合唱や演奏を通じて、平和な未来と復興を願った。

 鈴峯女子中・高吹奏楽部(広島市西区)は原爆をテーマにしたオリジナル曲「広島の朝の歌」など7曲を披露。続いて登場した安田女子中合唱部・高音楽部(中区)は、被爆ピアノの伴奏で、広島のわらべうた「烏(からす)かねもん勘三郎」など4曲を歌った。

 原発事故の起きた福島県から招いた葵高(会津若松市)合唱部は、復興をイメージさせる「ポラーノの広場」など5曲を熱唱。「恋のフーガ」は身ぶり手ぶりを交えて歌い、会場からは手拍子が起きていた。締めくくりは、観客を含む約400人がSMAPの「世界に一つだけの花」を合唱した。

 ひろしま福島県人会の加藤雅子さん(58)=広島市東区=は「この日のために、葵高校の生徒が一生懸命練習してきたのが伝わってきた」と感激していた。

ユーストリーム
 7階のホールであった音楽ステージやワークショップ、フィナーレは、インターネットの動画配信サービス「ユーストリーム」で世界に生中継された。

 8階の映写室からビデオカメラでステージを撮影。映像をパソコンに取り込み、横約3センチ、縦約2センチの画面で放映した。昼休みなどを除く午前10時から午後4時までの中継中、画像が乱れたりするトラブルはなかった。

 中国新聞社がホールのイベントを動画で世界に生中継したのは初めて。ビデオカメラを操作した中国新聞ジュニアライターの高校2年田中壮卓(まさたか)君は「美しい音色や歌声を無事に伝えられてうれしい」と話していた。

被災地支援
 葵高合唱部は、東日本大震災被災地を支援する中国新聞社などの「届けよう 希望 元気 キャンペーン」の一環で招いた。会場でも、たる募金への協力が呼び掛けられた。

実行委員長・坂田弥優さん(高2)
 放課後を中心に準備を重ねて臨んだピースマイルフェスタ。中高生の平和に対する思いを互いに確認できただけでなく、大人の方々にも知ってもらえたのではないかと思います。

 ワークショップでは学校や学年の異なる人と話したり、グループ作業をしたりしたことで、新しいつながりをつくることができました。福島から来た葵高の皆さんの歌声は、聞いた人が幸せになるようなパワーと迫力にあふれていました。休憩中など空いた時間に何げない会話ができたのも楽しかったです。

 「私たちのピースマイル」で宣言したことを実行するのはもちろん、日常生活の中で平和と笑顔の花を咲かせるために行動していくことが大切だと考えます。

(2013年4月1日朝刊掲載)

年別アーカイブ